晴。
NMLで音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第九番 K.271 で、ピアノはフリードリヒ・グルダ、指揮はカール・ベーム、バイエルン放送交響楽団(NML、MP3 DL)。1967年の録音。わたし程度には本当は大したことはわからないのであるが、それにしても何というすばらしいモーツァルトか。六十年も前、ベームとグルダか。モーツァルトがまもとに弾けないし、聴けない現代を思う。モーツァルトがじつにむずかしい時代。でもまあ、そんなことはどうでもいいか、ただ、すばらしいのだ。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第十番 K.330 で、ピアノはフリードリヒ・グルダ(NML)。こちらは八十年代前半、中年のグルダによる録音。いったんマスターが失われたあと、グルダの死後にカセットテープへのダビングが発見されたものが、元になっている。

八十年代というのは、文化的にいってモダンの終着点であり、その総合であると同時に、ポストモダンの濫觴である。九十年代以降は、モダンの完成形が自壊し、いわば「マニエリスム」に入っていったといえるだろう。
また、政治的には、「歴史の終わり」、自由民主主義体制の勝利と思えたものから、グローバル資本主義が猖獗を極め、国家は権威主義へ変質していく過程、に見える。これは現在進行系だ。おそらく、国家は「強国」を目指してさらに「自律的意志」をもったように運動するようになり、それによる必然的な「人民の統制」「自由の制限」は世界的にますます強くなっていくだろう。デジタル・ネットワーク技術がその統制を支える基盤となる。
そして、国家間の対立は深まり、世界は必然的に不安定化するだろう。それを駆動するのは、ますます強まる人間のエゴ(自己中心主義、ナルシシズム)であり、資本主義の開発する「欲望」の力である。それらは、世界を覆い尽くす抽象概念(=幻想)によって合理化・正当化されるだろう。
どうでもいいが、日本のアニメの展開は、それらからの「例外」に見えないこともない。一種の幼稚さと、イノセンスが基底になっている。しかしこれも世界資本に呑み込まれ、おそらくは次第にその生命力を失い、後世からは「一時の徒花」のように総括されるかも知れない。もちろん、後世、があればの話だが。
あと、フェミニズムの推し進める、数万年続いてきた「伝統的家族」の崩壊が、世界にいかに影響するか。これはこれまでわたしの考慮してこなかったところのものだな。おそらく、(いま犯罪視されている)「家父長制家族」は崩壊し、それに代わるものは構築されないだろう。我々の孤独・孤立化は進み、全世界で段階的に少子化が進むことになる。
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老母のたっての希望で、三人で可児の「川合次郎兵衛塚1号墳」を見に行ってきました。朝九時に出発、じつはカーナビに登録する場所をまちがえて(笑)、余分に40分かけて、一時間半くらいで到着。
7世紀初めの造営で、県下最大級の「方墳」というのが、めずらしいです。方墳は、古墳時代の末期に見られるもので、ここなどは奈良時代なんでしょうかね。このあたりには他にも(旧石器以降の)遺跡がたくさんあって、詳細は方墳に隣接する「川合考古資料館」にて見られます。出土品などが多数展示されてありました。
資料館に拠ると、このあたりは木曽川の河畔であるゆえ、古代から水運の拠点として発展したと思われます。特に、知多半島からの塩などを扱った、と。鉄剣なども出ているので、このあたりとしてはかなりの勢力だったのではないでしょうか。

川合次郎兵衛塚1号墳(修復保存されています)。左右に副室があり、東副室には子供が手厚く葬られていたそうです。

資料館に展示された川合地区における出土品です。鳥つまみ蓋付須恵器で、ここの「お宝」。

なかなか立派な縄文土器。

川合次郎兵衛塚1号墳東副室の副葬品で、子供を悼んで埋められたミニチュアの土器だそうです。
いや、意想外におもしろかったです。古代以来の水運の重要性をあらためて感じました。
ついでに、可児の産直市場へ寄って買い物。家の畑の野菜がないので、野菜類を買い、あとは、おいしい刺身(今夜食べる)や、イカの一夜干し、静岡産の桜えびなど。
帰宅してから、いつも買ってくる「魚屋の寿司」(一人前千円あまり)を昼飯に食べました、めっちゃうまかったわ。
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●第757回:国会前デモと、ハンガリー16年ぶりの政権交代にひとつのトレンドの終了を感じ、世界や日本の右派に与える影響を考えた。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
雨宮処凛さん、随分とポジティブで驚いた。わたしはとてもこんなに楽観的ではいられない、というかあいかわらず絶望しており、状況はますます悪化していると思っているのであるが、しかし、わたしなどは所詮田舎でテレビとインターネットを見ているだけであり、雨宮さんの現場感覚、皮膚感覚を信頼している。これから、世界がよい方向へ進んでいくのなら、こんなにうれしいことはない。今後の展開を注視している。
わたしはたぶん、たいしたことは望んでいない。わたし程度が何を(がんばって)考えようが、世界を 1mm もよくしない。それは確かに思える。それはそうとして、では、どうする? そう、だから、たぶん、たいしたことは望んでいないのだ。
夜。
●ジェノサイドは「どっちもどっち」ではない――ガザ出身の学者シャハッド・アブサラマとの対話から問う日本の「平和」 | 志葉玲 | イミダス