こともなし

晴。
朝起きたら相当にバカになっていた。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十番 K.466 で、ピアノと指揮はゲザ・アンダ、カメラータ・ザルツブルクNMLCD)。第一楽章のカデンツァは、ベートーヴェン作のじゃなくて自作のを弾いているな。■尹伊桑のフルート五重奏曲で、フルートはロスヴィータ・シュテーゲ、ヴァイオリンはゲッツ・リュシュティヒ、ゲッツ・ハルトマン、ヴィオラはカタリーナ・マクトナルド、チェロはクラウディア・リンペルク(NML)。

Isang Yun: Works, Vol. 9

Isang Yun: Works, Vol. 9

  • Internationale Isang Yun Gesellschaft e.V.
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モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第二十四番 K.376 で、ヴァイオリンはヴァーツラフ・スニーティル、ピアノはヤン・パネンカ(NML)。よい。ヴァイオリンもいいが、何といってもパネンカのピアノ。

 
昼寝。昼寝して起きると、何か罪悪感のようなものがあるな。時間をムダにしている感じがある。まあ、人生そのものがムダなような気もするが、それではやはりいけないのだ。
 
玄侑さんの公式サイトでエッセイを読んでいたら、「没蹤跡」(もっしょうせき)という言葉に出会った。いかにも禅語らしい、きっぱりもさっぱりもした言葉である。一切は何もないのだから、何も跡を残すなということであろうが、名誉欲の捨てられない凡人には、なかなか容易でない。いまの世の中、ものすごく大きくなってしまっている個人の承認欲求も、完全に捨てられる人間は稀だろう。わたしなんぞもこんなブログが、既に「没蹤跡」に反しているが、ほとんど誰も読んでいないんだから、許してもらえないか知らん。
 
 
ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番 op.69 で、チェロはジャクリーヌ・デュ・プレ、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NML)。これ、すごくいいじゃないか。デュ・プレとコヴァセヴィチの共演はどれくらいあるのかな。

 
第603回:第7波、統一教会と自民党の関係、そして死刑執行などで「脳のキャパ超え」してませんか?(雨宮処凛) | マガジン9
雨宮処凛さんの言葉はいつもまともで、リアルだ。自分の場所から、現実から出発しているからだと思う。自分をよく知っている。そして、どこか時代と深く関わっているのだ。
 

 
『本とみかんと子育てと』を読み始める。周防大島個人出版社とみかん農家と子育てをやっておられる柳原さんの日記で、読んでみるとクソおもしれーじゃないか。悪戦苦闘で悪態をつきまくっている日々だが、しっかりと生きておられて、そのことに自信をもっておられるのがよくわかる。わたしとほぼ同い年で、自己卑下するつもりはないが、これと比べればわたしの生きる日々など、虚であるのが否めない。いやでも、田舎で暮らすという点で、わたしとは田舎(各務原は基地の町でかつ都市ベッドタウンだ)といっても周防大島では全然ちがうのではあるが、共感するところも多々ある。たぶん全部は読まないんじゃないかと思うが(膨大な日記だ)、とりあえず100ページくらい読んだった。とにかくクソおもしれーよ、マジで。