加藤周一『私にとっての20世紀』

晴。気持ちのよい青空。
カーナビでどこかへたどり着こうという夢。都市の海上道路(海が青い)を進んでいるうち、工事中になってしまう。いったい、どこへ行きたかったものか、それがわからない。ヘッドアップ・ディスプレイ型の先端的なカーナビゲーション・システム。いや、網膜に直接投影されるか。
 
鵜。老父が教えてくれた。鵜は警戒心が強くてなかなか撮らせてくれないが、なぜか逃げなかったな。こちらを警戒しているのはわかる。

元の画像ははてなフォトライフのファイルサイズ制限(10MBまで)に引っかかってアップロードできなかったので、ImageMagick でリサイズした。10MB というのは微妙なところで、わたしの使っているコンデジの場合、稀に引っかかる。老母のスマホ画像だと、もっと引っかかる割合が高いようだ。15MB くらいにしてくれたらよいのに。
 
ブルーベリーの実もビワ(枇杷)の実もたくさん生っているのだが、どんどん鳥に食べられてしまっている。こりゃ、人間様の分はないかな。
プランターに入れたミニトマト、もう青い実が生ってきた。強い日光を浴びてすくすく伸び、元気がいい。
 
昼。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。30種スパイスで作ったカレーパイ+ブレンドコーヒー457円。セット価格なのでいつもより安いな。
 加藤周一『私にとっての20世紀』(2000)を読み始める。コーヒーを二度おかわりして、一気に三分の二くらい読んだ。これはおもしろい、また、とっても感心した(って上から目線でスマソ)。この人、さすがによくわかった人だなって思った(まったく何様だ)。
 加藤周一さんは論理の人と思われているような気がするが、まあそうなんだけれど、その論理はじつはそんなに複雑に入り組んでいるのではなく、常に自分の体験を重視して、それが根底にある、かなりシンプルなものだと思う。だからこそ、その論理に強い説得力があるのだ。その「根底」というのは戦争体験がいちばん大きく、だからこそ加藤さんの平和主義は盤石でゆるがない。あのような愚かしい戦争は、二度と許容できないという思いがあるからだ。
 あと、加藤周一さんは、自分が(西欧型)知識人であり、愚かな「大衆」を導く存在であることを、ほとんど無意識のように呼吸している。あまりにも自明なことだから、加藤さんの中でそれが崩れることは決してない。本書の中でも「大衆」という言葉はよく使われているが、その「大衆」の中に加藤さんはまったく入っていないのだ。かつての戦争も、それはエスタブリッシュメントの過ちであり、大衆は盲目で煽動される存在として理解されている。だからこそ、当時の指導的知識人、政治家、軍人たちに対して、怒りをもって非常にきびしく非難しているわけだ。
 加藤さんのいう文化もまた、いわゆるハイ・カルチャーそのものである。クラシック音楽、オペラ、能、狂言、実朝や新古今和歌集などの和歌、ギリシア悲劇シェイクスピアブレヒトなどの演劇、西洋古典絵画、(高級)文学、分析哲学、その他もろもろ。まったく、圧倒的な教養である。わたしは読んでいて、いま加藤さんにいちばん近いのは、浅田彰さんかな、ってつい思った。そういえば浅田さんが、海外でのシンポジウムなどで加藤さんと同席すると、とても心強かった、なんていっていたっけ。
 
図書館から借りてきた、加藤周一『私にとっての20世紀』読了。上に書いたとおり、非常におもしろかった。わたしは加藤周一さんと相容れないが、それを正確に考えるのは(わたしにとって)生産的だと感じる。

加藤さんは本書第四部「言葉・ナショナリズム」で例えば小林秀雄の『本居宣長』を、ほとんど感情的なまでに強い言葉で非難している。これが小林秀雄批判として底が浅いものであることは明らかだが、どうして加藤周一ほどの人がそうなるのか。すぐにわかる理由のひとつは簡単なことで、加藤さんは小林秀雄を、あの愚かなる戦争に曖昧な態度をとった知識人であるという、いわば戦争犯罪者も同然だと見做しているからだろう。これは、西欧型知識人からすれば、ほとんど当然の理解だと思うし、「正しい」かどうかでいえば、間違いなく加藤さんが「正しい」。
 わたしは漠然と思うが、わたしがもしあの時代に生きていれば、戦場に赴かなかったとすれば、吉本さんのように軍国少年になるか、あるいはその上の世代だったら、戦争協力者になっていたのではないか。じつに愚かなことであるが、わたしは加藤さんのような、目覚めた人間ではあり得なかっただろうと、思っている。といって、わたしは戦争が好きなわけでもなんでもない。決して、自分が生きているうちに、日本が戦争に巻き込まれて欲しくないと思っているし、現在世界で行われているあらゆる戦争、戦闘行為が嫌である。殺すのも、殺されるのも、まっぴらごめんだ。
 でもわたしは、例えばいまガザで行われているジェノサイドを知りながら、何もしない、そういう人間なのである。ただ、こんな誰も読みもしないブログで、何の意味もなくごちゃごちゃいっているだけだ。ま、知識人である加藤さんなら、メディアで明確にイスラエルを非難していただろうな。それはすばらしいことであると、わたしは思う。