「現代人の精神の貧困化」を名づける、うまい言葉がない

昧爽起床。曇。
昨晩は疲れて早く寝てしまったな。早起きして昨日のブログ日記を書く。
 
しかし、空海(774-835)か。日本史のごく初期の段階で、このような天才が出たというのは、その後の日本文化に多大な影響を与えていて、それはもはや測るすべもない。ただ、突然そんな天才がぽっと出てきた筈もなく、空海の出発点は雑密(ぞうみつ)の山岳修行者だったのであり、その時点での雑密のレヴェルがかなり高かったのは、わたしにはまちがいないことのように思える。そうでなければ、日本という辺境のさらに奥から来た20代の留学生が、最先端の都会である唐の長安において、あとは権威のお墨付きを得るのみというほどの仏教理解の高みに達していたというようなことが、起こる筈はなかった。おそらく当時の雑密にはそのベースに古来日本で蓄積されてきた精神技法があって、それが漸次輸入されていた仏教経典(大日経など)と融合したのであろう。つまりは、断片的な仏教経典を持って山に入った修行者たちがたくさんいて、若き空海もそのひとりだったということだ。
 空海というと、わたしはあと、なんとなく明恵上人(1173-1232)を思い出す。ってまあ、わたしは空海明恵さんも、よく知っているというわけでも何でもないんだけどね。明恵は日本を代表する、中世の名僧のひとりで、河合隼雄先生はアッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)と比較しておられたが、さすがに河合先生である。生涯きわめて純粋に修行のみに打ち込み、高い地点に到達した。明恵さんは華厳宗の人であるが、一方で空海を思慕し続けている。具体的な空海の著作に親しんだものなのか、それとも歴史的イメージとしての空海を慕ったのか、わたしは知らないのだが、明恵さんを生涯導いたその「夢」にも、空海が登場して重要な役割を果たしていたのではなかったか。まあしかし、知ったかぶりもこのあたりまでにしておこう。
 
庭に勝手に生えた雑草で、ムラサキツユクサは好きだ。

朝のうちしか咲いていない。ので、切り花にはならない。
 

 
高度資本主義が世界を覆うことによって急速に成立しつつある世界的な「現代人の精神の貧困化」を名づける、うまい言葉がないのが困る。資本の強力な回転が作り出す強固な制度が、「自然」のもたらす繊細でもやもやした、無限の多様性のある「アブジェクション」や「対象a」(わたしはこれらの古い用語を、勝手に誤読した形で使う)といったものを遮断し、人工的で画一的な「強度」によってそれらの(記号以前の)弱々しいものを認識させなくしてしまうという構造――それが精神の貧困化をもたらすのだ。(ちなみにこれは、現代が「鬱の時代」であることと関係がある。)「アブジェクション」や「対象a」は、本来は心の流動性に吸収されて解体され、無として消え去っていくべきものである。ただし、何かの形で無意識、あるいは心の潜勢態として残り、そこにはたぶん、何らかの「豊かさ」があるかも知れない。――そういう過程を、この強固な制度ないし構造は、ブロックし、阻止するのだ。我々は「制度」によって注入された記号(=トラウマ)の作り上げた「自我」によって、世界から「自分」を区別して「外部」を切り捨て、その内部における記号的思考で「外部」を操作して、生きていくことになる。かかる硬直した状態では、心が自発的に流動していくことが少ない。そこに、一見して記号の多様性をもちながら、判で押したように画一的な精神構造が大量生産されている世界的現在がある。
 
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。生ポン・デ・宇治ほうじ茶 きなこ+ブレンドコーヒー539円。生ポン・デ・宇治ほうじ茶 きなこは黒蜜をかけて食べた。220 kcal で低カロリーだと思ったのだが、よく考えると黒蜜の分が入っていないかも。
 先日「ブ」でたまたま購入した、ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(文庫版2017)を読み始める。短篇集。「太陽の男たち」「悲しいオレンジの実る土地」「路傍の菓子パン」を読んだ。「太陽の男たち」は岡真理先生が映画版と比較して詳しく論じておられたと思うのだが、もはやよく覚えていない(いいかげんな読書である)。映画版は小説とラストがちがっているらしく、もとの小説では男たちはタンクの壁を叩かない。岡先生は、(よく覚えていないが)確か映画版に批判的じゃなかったか。小説で男たちがそうしないのは、運転手のアブ=ル=ハイズラーンの身を慮ったからなのだろうが。
 著者ガッサーン・カナファーニー(1936-1972)はパレスチナの小説家。Wikipedia によれば、1967年に PFLP が設立されるとそのスポークスマンとなり、1972年におそらくはイスラエルの特殊部隊によって、ベイルートで爆殺された。享年三十六。
 

 
夜。
01 中沢新一「アール・イマキュレと芸術人類学」 - YouTube
文化的創造力の世界的な枯渇、人間の精神が明らかに「悪く」なっていること、その大きな原因として現代の経済活動を考えている点など、その認識はだいたい同じだな。しかし、中沢さんは、「アール・イマキュレ」の攻撃性の欠如、平和、調和に希望を見出している。なるほどなー、わたしはまだまだだな、とてもそこまでいかない。