坂口ふみ『<個>の誕生』 / 「コードギアス 反逆のルルーシュ R2」(2008)を観る

雨。
 
隅っこにもぐり込み、そこに穴を掘って、中に入り込んで逼塞している。
 
昼。
精神を開いていくということ。部屋にひとりで逼塞していて、精神を開いていくことは可能か? たぶん、可能だが、わたしはまだうまくいっていない。部屋に垂れ罩めていて精神が閉じていると、どんどん中庸から遠ざかってしまう。例えばニーチェのように、過激な妄想ばかり弄ぶようになる。まあ、ニーチェのそれは意味があったわけだが、ふつうはなかなかそううまくはいかない。
 いずれにせよ何にせよ、わたしのやっていることにはたぶんほとんど意味がない。たぶん誰にも届かない。困ったものである。モチベーションの維持がむつかしい。未熟であるな。
 
ネットを見ていると、我々が妄想(=記号の集積)の中に住んでいることがありありと見えてくる。リアルとは世界の裂け目であり、それは記号以前の体験なのだ。精神を開いていくとはまさに常時その中に住むことに他ならない。
 
 
坂口ふみ『<個>の誕生』の続きを読む。承前キリスト教の現実から遊離した不毛な激しい神学論争(正直いってわたしごときには細かく追い切れない)が世界を大きく変えたのに呆れ果てる。まさに知的パズルを解く人々。愚かで単純なわたしにはバカバカしいとしか言いようがない。知的エリートのなすことは、いまも昔も変わらない。そして蟻のごとき民衆は歴史の闇の中に埋もれていく。
 それにしても、ここにはまったく自然というものがない。神と人しかいない。動物もいなければ、植物もない。鳥は歌わないし、花も咲かない。風も吹かなければ、雲も行かない。山も川もない。ただ、抽象的な神と人がいるのみである。
 
坂口ふみ『<個>の誕生』読了。神と人が「愛」において自己完結している。キリスト教は、「愛」の語なしにみずからを説明することが可能か。それは無理だろう。

 

 
夜。
コードギアス 反逆のルルーシュ R2」(2008)第25話(最終話)まで観る。2期で完結。さすがに傑作中の傑作といわれるだけのことはあるな。悲劇としてのアニメ作品で、これ以上のものがあるのだろうか?調べてみたら後日譚を描いた劇場版があるのだな。