こともなし

晴。
昨晩は疲れていて、風呂を出たら九時過ぎに就寝。しかしそれほど寝られず、深夜二時半くらいに起床。朝までブログの旅行記を書く。

L'eclat des jours(2022-04-19)

「少なくとも、男が都会に疲れて田舎に戻って一緒に農協で働くとかないよな(その場合、女はハッピーでも男はあまりハッピーではなさそうだ)」「というか、高卒男女の就業って田舎だと実家の農家じゃないか(これまた男はハッピーではなさそう)」

東京のたいへんなインテリのブログエントリだが、田舎に向ける視線がすごい。田舎で農家をやるのはそんなに見下すべきことなのだろうか。また、都会に疲れて田舎の農協で働くのはそんなに軽蔑すべき人生なのだろうか。たぶんブログ主はこれが田舎を蔑視した記事だとは考えてもいないのだろうが、わたしのような田舎者から見るとまたちがった趣きがある。東京の意識の高い人間の、ふだんの本音なのであろう。東京人、多かれ少なかれかようなもの。東京人がこれでは、日本が「文化国家」になるのもなかなかたいへんだ。


「バーカ!」といっておけばすむ事態が、あまりに多すぎはしまいか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
振り込め詐欺」を見事撃退し、詐欺師に「バーカ!」といって爽快な気分になったという自慢話とは、蓮實重彦もどうしちゃったのだろうな。そして、「振り込め詐欺」にダマされる気の毒な老人たちに、「多少の愛情をこめて」らしい残酷な視線を投げつけてみせるとは。まあ、そんなのはよいが、「もっとも、『バーカ!』という至極便利な一語を無闇矢鱈に口にすることは、どうやら、世間的には慎まねばならぬようだ」などと断って、オレは「バーカ!」といえる大胆なインテリなんだぞと最後に念を押してみせるダサさなど、ちょっと驚く。あの蓮實重彦ですら、本人はいまだ知的で軽やかなつもりなのだろうが、ここまで老醜をさらすものなのか。まあ、そんなことはどうでもよいのだが。

朝食後、二時間ほど寝る。

スーパー。二日間脳をリフレッシュしたので、すっきりした気分。


昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。宇治ほうじ茶もちふわホイップ+ブレンドコーヒー506円。宇治ほうじ茶もちふわホイップ、うまいですな。河合隼雄明恵 夢を生きる』の続きを、第四章「上昇と下降」まで読む。第三章の「母なるもの」と共に、自分に引き付けて得るところがとても多かった。自分はいま転換点にいるので、死と再生ということはまさに我が身である。「上昇と下降」でいえば、底にいて、また上昇の危機とでもいうことも感じている。中国の天才的な禅僧であった趙州は、どれほど高みにいる僧でも、衆生をことごとく救わんとする執着から逃れることはできないというようなことをいったくらいであるが、明恵さんも似たようなことをいっていたな。わたしなどは、そんなものではない、もっと遥に自分勝手で、低レヴェルではあるのだが。結局、名誉心、自己顕示欲、承認欲求などというものは、潰しても潰しても、容易に潰しきれない厄介な執着なのだということを実感する。なかなか自分を捨てられない、捨身(しゃしん)のできない、まったくの凡人であるのだ。大欲はよいものだという、明恵さんの言葉を信じたいところである。
 しかし、もはや人生の日が沈みかけてから、こんなことをやっているわたしは何なのだという、またそれも気を腐らせるわけで。
 第三章を読んで、日本人は「母なるもの」、母性の力がもともと非常に強く、強すぎるくらいであるとあったが、いまの日本のインテリの感情蔑視と理性執着、またフェミニズムの展開などは、強すぎる「包む母性」の力を抑えて、(西洋的な)「切断する父性」の力を強めようという働きなのかなという気づきがあった。そう考えるなら、それにも大きな意味があるわけである。

 
夜。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十番 op.109、第三十一番 op.110、第三十二番 op.111 で、ピアノはフリードリヒ・グルダNMLCD)。これぞベートーヴェン。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十番 op.74 で、演奏はクァルテット・エクセルシオNMLCD)。■ブリテンの「オウィディウスによる六つのメタモルフォーゼ」 op.49 で、オーボエはパウリーネ・オーステンライク(NML)。
Britten: 20th Century English

Britten: 20th Century English

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『変女』を読み返す。