こともなし

晴。寒い。
 
スーパー。食料品が軒並み高くなっている。値上がりが止まらない印象。もう、国産の魚とか、一般人はなかなか日常的に食べられなくなるかも知れないな。野菜類も、農家が減っているのと人手不足できびしい。
マックスバリュで足りないものを買う。
 
昼寝。昨晩遅くまで起きていたので、よく眠ってしまった。
 
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ふわふわシュー シュガー+ブレンドコーヒー462円。ふわふわシュー、カロリーがさほど高くないな。あんまり見かけない商品だけれど。
 佐藤俊樹社会学の新地平』(岩波新書2023)を読み始める。副題「ウェーバーからルーマンへ」。第一章の途中まで読んだ、この章ではマックス・ウェーバーの有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を丁寧に読解しているが、ウェーバー自身、「資本主義の精神」というので何を意味しているか、モヤモヤしながら書いている、ということから叙述している。この意味で、従来の、「資本主義の精神」でウェーバーがこれこれこういうことを意味している、ということをはっきり主張してきた読み方は、どうもあやしいということになっている。おもしろいではないか、また、本書を読むとその説得力は強い。特に日本では、大塚史学にウェーバーが強引に接ぎ木されてきた。等々。
 しかし、個人的なことなんだが…、わたしにはそもそも「社会」って語の意味するところが、恥ずかしながらよくわからないんだよな。もちろん自分でも「社会」という語を使うわけだが、それこそそのシニフィエがよくわからず、曖昧なままで使っている。つらつら考えてみると、「社会」ってのは、「言葉(概念)で構築された『制度』の総称」ではあるのだよな。しかし、例えば「社会は国家より大きい」など、もっと広い意味で、漠然と使われることもあるし。また、人文学と社会科学は文系の学問として分けて考えられるが、どこがどう区別されるのか。例えば小説は人文学の対象であると一般にはいえるが、社会科学を使って読むこともできるだろう。そして、いまは社会科学の時代であり、人文学は元気がない。それも、どういうことなのか。
 それでゆくりなくも思い出したのだが、民主主義を論じるときに使われる、ルソーの「一般意志」という語もあまりにも曖昧で、よくわからないな。いや、そもそも「民主主義」という語すら、よくわからない。「民主主義」って語は、具体的に(?)いったい何を指しているの? 権力を選挙で選ぶこと? 古代ギリシア以来の、って話? 最近濫発される紋切り型、「民主主義の危機」っていったい何、具体的に何が危機なの? これらは以前にも記したけれど。
 勉強不足で困るぜ、まったく。
 
こういった方がいいかも知れない。「社会」という語のコノテーションは何となくわかるが、デノテーションがよくわからない、と。
 

 
夕飯の寄せ鍋がめっちゃうまくて食い過ぎる。サケ、タラ、サワラ、ホタテ、いわし団子、椎茸、豆腐、人参、ネギ、白菜。いろんな具の味が汁に溶け出す。それが沁み込んだ白菜やネギのうまいこと。汁も啜る。
 
玄侑宗久『華厳という見方』再読了。

 
中沢さんの『レンマ学』を読み返す。