「ホリミヤ -piece-」(2023)を観る

曇。のち晴。
 
NML で音楽を聴く。■ブラームス交響曲第四番 op.98 で、指揮はゲオルク・ショルティシカゴ交響楽団NML)。1978年の録音。ショルティはほとんど聴いたことがなく、以前から聴いてみようと思っていた。CD はマーラーの一番と四番をもっていて、若い頃それなりに聴いた記憶がある。さて、この曲を選んだ意味はなく、何となくいま聴きたかった。猪突猛進、オケのパワーでどんどんいく。細かいニュアンスに乏しく、ほとんど感情を込めずに、ただ拍をとっているだけ、とでもいいたい指揮ぶりだ。しかし、巨匠的といっていい器の大きさはあって、それで何とか聴いていられる。ただ、終楽章ははっきりとダメだった。このアプローチでは底が浅くてブラームスに届かず、いたずらにアクセルを吹かしても空回りするだけ。これは、全曲を聴こうという意図がなければ途中で切っていた。まあ、そんな感じ。次はどんなショルティを聴こうかな。バルトークの「オケコン」とか、おもしろいかも知れない。

 
Symphony No. 4 / Johannes Brahms / Klaus Mäkelä / Oslo Philharmonic - YouTube
第一楽章と終楽章の冒頭3分くらいを聴く。売出し中の若き「天才」、クラウス・マケラのブラームス。出色の才能は明らかだが、この演奏に関していえば、退屈なのも明らか(正直いって、オケが弱いのはある)。若いのに、あまり挑戦的な感じがない。まあしかし、才能ははっきりとある。2021年の演奏。
 
 
昼から県営プール。外気16℃、晴天ですばらしい秋だ。一年でいちばんいい季節な気がする。岐阜の山が少し黄色く色づいている。
家を出るとき、カーステレオ(言葉使いが古い。カーオーディオですね)でモーツァルトのピアノ・ソナタ第八番(K.310、ピリスのピアノ)がちょうど始まった。で、岐阜メモリアルセンターの駐車場に着いたとき、偶然、かっきり終わった。20分くらい、というところかな。
 
帰りに肉屋。肉じゃが用の牛肉を100gで 780円の飛騨牛にしようと思っていたのだが(肉じゃがでも、当たり前だがいい肉の方がうまい)、広告の品である100gで 398円の国産牛がおいしそうなよい色だったので、そちらにする。
ガソリンスタンド。今回は31Lで 773km 走ったので、随分と長く保(も)ったな。高速道路をよく使ったから。あとは、エアコンを使わない季節のせいもある。燃費を計算すると約24.9km/Lということで、まあいいんじゃないかな。
 
 
Mozart Requiem Klaus Mäkelä R. Concertgebouw - YouTube
クラウス・マケラとロイヤル・コンセルトヘボウによる、モーツァルトのレクイエム K.626 を聴く。いってみればやわらかい、劇的表現を避けたおとなしいレクイエムで、少なからず面くらった。Kyrie (キリエ)や Dies irae (怒りの日)、Confutatis (呪われたもの)あたりはふつうなら激しく盛り上げるところであるが、ここではさらっと平常運転という感じ。だから、Recordare (思い出したまえ)などは悪くないようにも思える。何というか、個人的に感動がまったくないレクイエムで(まあ、感動とかはその時の精神状態にも拠る)、指揮者がどういう意図なのかわたしはよくわからないが、ユニークといえばユニークだし、これがクラウス・マケラの才能でもあろうか。なお、Lacrimosa (涙の日)まで聴いて、弟子による死後補綴部分は聴かなかった。2022年の演奏。
 

 
夜。
ホリミヤ -piece-』(2023)第13話(最終話)まで観る。いやー、途中で切らなくてよかったー。自分に似合わないオシャレアニメだけれど笑。OP もオシャレで恥ずかしいが、つい毎回観てしまった。もう1期あんまり覚えていないけれど、こんなんじゃなかったよね、もっとラブストーリー寄りだった。「piece」の方はいつか失われてしまう(登場人物たちの)若さに切なくなる。ま、わたしにもかつて青春があって、もっと泥くさかったけれどね、いや、もう思い出すこともなくなり、でもこういう作品を観ると、そのときの気分くらいは微かにいまもおぼえているのだった。