藤本和子『砂漠の教室 イスラエル通信』

日曜日。晴。
 
昨晩観た『弱キャラ友崎くん』を反芻していて、予想外に(観る前はただのラブコメだと思っていた)なかなかの傑作だったとあらためて思い返している。自分にはかなり不愉快な作品で、それでも気になるという、原作はラノベだが(未読)、ちょっと純文学のようなところがあった。評価サイトを見ても、結構いる「このアニメは不愉快だった」系の人を中心に、力の籠った感想が書かれていて、この作品は何か現代人(特に若い人だろうな)に刺さるところがあるんだろうと思う。作品としては荒っぽくて、細部まで練られたというのではない、矛盾も少なくなく、最初のアイデアを展開しながら、つじつまを合わせるのにかなり苦労して書かれたのだろうと推測するが、(特に、ヒロイン(?)の日南の性格にかなりムリがある、)それゆえに計算された単純さに陥っていないのではなかろうか。まあ、具体的な中身について書くつもりはないけれど。なお、2期が決定していて、2024年に放送予定。でも、ここからは何となく予定調和に収斂する予感、ではあるな。
 

 
昼。外気38℃。
珈琲工房ひぐち北一色店。おいしいコーヒーを飲むとホッとする。
藤本和子『砂漠の教室 イスラエル通信』(元本1978)読了。藤本さんの本は、『イリノイ遠景近景』『ブルースだってただの唄』『塩を食う女たち』と、近年次々と文庫化され、追いかけて読んできたが、どれもわたしにとっては「精神の鑢(やすり)」となる本だった。そして、わたしごときには到底語り得ない書物である、本書も、また。言葉を超えていること、言葉でとても表現できないことを、血の汗を流しながら言語化する。それがまたどれもじつにうまい文章で書かれているのが、不思議といえば不思議だ。藤本さんの翻訳のすばらしい文章からすれば、別に驚くことはないにせよ。まあ、文体というのは才能そのもので、才能を与えられたら仕方がないわけではあるが。流れるような名文で、ゴツゴツした、屈折しほとんど言語化できないような深刻なことを書く。じつに陳腐なことをいえば、それが藤本和子の広さであり、深さのあらわれなわけだ。いや、こんなことしか書けないわたしは何だ、って感じがするな。