こともなし

曇。
蝉鳴く。
 
スーパー。
 
わたしは生成AI の現状についてあまり知らないのだが、それでも画像生成AI である「Stable Diffusion」などの現状を少しでも見ると、恐ろしいような気分になってくる。はっきりいって、これのポルノ利用だが、顔写真さえあれば、任意の人間の精巧な(合成)ポルノ画像を簡単に生成することがいまや可能で、その目的で画像生成AI が既に使われているといわれる。特に児童ポルノは危険で、例えば自分の子供の顔写真などを決して SNS に上げないよう、注意すべきであると警告されている。もちろん、リベンジポルノを作ることも簡単だ。
 また、政治・軍事目的の利用だ。現在の技術で一国の指導者のフェイク演説動画を作ることが可能であり(まさに村上龍の『愛と幻想のファシズム』にあった)、それがフェイクであると検証することが、これからますますむずかしくなっていく。これらの過程をさらに ChatGPT などのコーディング技術によって自動化することも考えられるだろう。そして、高度に AI制御された兵器。明らかに、危険だ。今日の NHK「キャッチ!世界のトップニュース」でいっていたが、国連によって AI をコントロールする、原子力における IAEA国際原子力機関)のような機関を設置すべきかどうかなどの議論が始まりそうである。一部の「賢人」たちがいった「AI が人類を滅ぼす可能性」は話題になったが、そこまでいかなくても、さらにむずかしい時代になることはまちがいあるまい。わたしは正直いって、うんざりしているのだが。
 

 
昼からミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー440円。
藤本和子さんの『砂漠の教室』を読もうとするが、どうも集中できない。30分くらいで止める。
 
 
人文知の敗北。文学が世界を覆うことができなくなった。文学が先端でなくなった、現実を掬い取り、変革することができなくなった。たんに知的になりすぎ、バカバカしさ、下らなさ、生命力を失った。文学は、ヘタレでもあった筈なのに。なぜなら、人間はそもそもヘタレだから。
現在の「生の全体性」を、覆えない。いまの人文学は、共時的に必要とされていない。
 
 
夜。
澁澤龍彦の『私のプリニウス』をひさしぶりに読み返す。学生の頃わたしは澁澤を愛読して、自分もいつかはこんな軽くておしゃれな博覧強記の文章が書けるだろうかと憧れていたものだが、30年経っても別にそんな風にはなれなかったなあと、いま読んでつくづく思う。どれだけ本を読もうが、一向にかしこくなったわけでもなかった。しかし、30年とは、あっという間だったな。その間、いろいろなことがあったようでもあるが、それもまた一幕の夢に過ぎない。