安藤礼二『縄文論』

晴。
蓄えた大量の要らない知識が捨てられない、という夢を見る。夢の仰るとおりだが、さらに、その要らない大量の知識が自分の虚栄心の源泉にもなっているということだと思う。それも、そのとおりだ。
 
自分の巣、「ゆりかご」の中を歩き廻るクモ。蜘蛛の糸で吊り下げられ、ゆっくりと回転する葉っぱ。
 
スーパー。飲み物をたくさん買って、バッグが重くなってしまった。ひさしぶりに五倍ポイントの日。
 
 
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。
安藤礼二『縄文論』を読み始める。第一章「草原論」第二章「場所論」を読了。本書の題名こそ『縄文論』だが、第一章は今西錦司論、第二章は西田幾多郎論で、直接的には縄文と関係がない。安藤の関心はわたしと多くかぶっているのであるが、安藤のやり方は偉大な先達たちの言説の類似性を取り出し、そこに「世界の実相」を探っていくという力技である。しかし、「世界という書物」を直接読んでいくというものではない。何よりも、たとえレヴェルが低くあっても、自分の目で世界を見ていくことが必要だと、わたしはあくまでも思う。まあしかし、それはわたしごときのレヴェルでいうことではない、使われている言葉はちょっと大袈裟すぎるような気もするが、本書はそれなりにわたしにもおもしろい。
 
図書館から借りてきた、安藤礼二『縄文論』(2022)読了。博識博覧だが、「世界の実相」は依然としてもやもやしたまま。自分の言葉で語れていないし、自分の言葉で語ると急につまらなくなる。類似性に着目する能力はたいしたものなのに(わたしは到底かなわない)。

結局安藤は、「縄文」のどこに可能性を見出しているのか、肝心のそこのところがわたしにはよくわからない。まあ、わたしがわからないだけかも知れない。
 しかし、本書を読んで中沢さんを読み返したくなったのはありがたい。特に『狩猟と編み籠』はたぶん一度しか読んでいないから、そのうち読み返すかも知れない。『アースダイバー 神社編』もまた読み返そう。
 

 
夜。
BASTARD!! -暗黒の破壊神-』(2022)第18話まで観る。