本尾かおるさんというピアニストを聴く / 「アマガミSS」(2010)を観る

晴。
 
NML で音楽を聴く。■ショパンの練習曲集 op.25 で、ピアノは本尾かおる(NML)。2013年の録音。

 
スーパー。安く済んだ、三日間家族三人分で5000円台とはね。老父の畑の野菜が穫れるようになってきたしな。北海道産塩サンマ3尾495円も安かった。
一見不毛のように思える冬に野菜が豊富で、季節のいい春秋が端境期というのは、何となく不思議な気がする。
 
昼。
ニュースで次期トランプ政権の政権移行の報道を見ていると、感覚が麻痺してくるような。バカバカしい。しかし、世界は欲望と虚栄心とエゴに満ち、皆んな仲良く楽しく暮らすってただそれだけのことが、どうしてこんなにむずかしいんだろうって、あほみたいな幼稚なことをつくづく思う。
 
ショパンの練習曲集 op.10 で、ピアノは本尾かおる(NML)。op.25 のもだったが、ショパンの練習曲集ってほんといい曲ばかりだなって思わせる演奏。技術も充分だとは思うが(詳しいことはわたしにはわからない)、決して技術をひけらかすようなそれではない。ショパンを聴いて満ち足りたという余韻に浸っている。
 
■バッハの トッカータとフーガ ニ短調 BWV565/オルガン小曲集〜BWV639/トッカータアダージョとフーガ ハ短調 BWV564〜アダージョ無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004〜シャコンヌ(以上すべて、ブゾーニによるピアノ編曲版)で、ピアノは本尾かおる(NML)。
 BWV564 のアダージョとか、BWV1004 のシャコンヌとか、泣かされた。こういう重心の低いピアニスト、音楽家は好き。このピアニストについて検索しても、さほどわかることはない。きらびやかな受賞歴はなく、音大の教師ということくらい。 

 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ポン・デ・リング プレーン+ブレンドコーヒー462円。
 フードコートの席に腰掛け、ドーナツを食い始めてさて本を読むかとバッグを開けたら、本を家に忘れてきたことに気づく。ありゃ、これはいかんと未来屋書店まで歩き、新書本でもと探すが、なかなか好みのがない。しばらく悩んで、岩波新書青柳いづみこ『パリの音楽サロン』(2023)を購入、フードコートに戻って早速読み始める。
 ショパンからドビュッシーあたりまでの本書前半を読んだ。パリのサロンにおいて洗練された「頽廃芸術」(音楽だけでなく、文学や美術なども含む)がいかに生まれたかを、パトロネージュやサークル内の人的交流、批評的活動に焦点を当てて見事に描いている。さすがは青柳いづみこさんという感じ。文章も、「文化的」な香気を漂わせる優美なモダン的文体、つまり、いまからすると多少保守的なそれで、わたしにはとても好ましい。
 サロンのような都市の高踏的小サークルというのは、いまも昔も「文化」の揺籃であるが、現在の東京にそうしたものがあるのだろうか。天才は小集団的現象だというようなことを、中井久夫さんもおっしゃっていた。
 わたしが惹きつけられるのは、かつてのある時代の、武満徹大江健三郎谷川俊太郎大岡信その他もろもろ、そこに山口昌男小澤征爾なんかを加えてもいいかもしれないが、そういう人たちの交流のあった仮想的な空間であり、しばしば(個人的に)思いやられるのだが、それは実際には(歴史や事実をよく知らない)わたしの頭の中にしかない、妄想かも知れないな。ちなみに、かかる仮想集団は、(わたしが同時代的に体験してきた)「柄谷・蓮實・浅田」時代の陰に追いやられ、明確な文化的ヘゲモニーを握ることはなかったが、武満徹大江健三郎だけをとっても、「柄谷・蓮實・浅田」と比較して世界史的に遥かに豊かな創造性を発揮したようにわたしには思われる。
 いまわたしたちは、どうも、都会にあっても、孤立の時代を生きているようである。って、孤独な田舎者はよく知らないのだがね。
 

 
夜。
アマガミSS』(2010)第26話(最終話)まで観る。第20話まで桜井梨穂子ルート、第24話まで絢辻詞ルート、残りは特殊ルート。梨穂子ルートは大人しい感じだな。と思ったら、最後の絢辻ルートがすごかった(?)。ここまでとはまったくちがう、ちょっとダークな展開。でも、変わってはいるが、いちばんの純愛という気もする。このルートは意外性がおもしろいので、書くのはここまでにしておこう。2期もあるが、どういうことかな、いずれにせよ、これも観るつもり。