森田真生『計算する生命』

晴。

今日の朝日新聞「折々のことば」に、岡本太郎の「才能のないということに賭けていく」というのがあったが、これは岡本太郎、さすがだな。いまの世の中、才能は氾濫しているし、「天才」もいくらでもいる。しかし、そんな才能や「天才」たちの、つまらないことよ。才能なんてない、才能に頼らない、ちまちました才能なんてものならば、むしろ殺していく、それだと思う。

バッハのチェンバロ協奏曲 BWV1057
母診察。
ブラームスの三つの間奏曲 op.117 七つの幻想曲 op.116 六つのピアノ曲 op.118 チッコリーニブラームス小品、いいな。

昼からガソリンスタンド。暑いのでコンビニで麦茶を買う。

県図書館。継続もの以外では、森田真生さんの『計算する生命』と、みずのわ出版の『本とみかんと子育てと』を借りる。後者は、随分と前にブログ「本はねころんで」さんが紹介しておられたと思う。本来ならきちんと購入して応援するとよいのだろうけれど、たまたま書架に見つけたので借りてしまった。
 「新潮」誌の中沢さんの連載「精神の考古学」を読む。現在書かれているのが奇跡のような文章だな。まさに未来を切り拓くそれだ。ネパールの死者の来訪の祭りの記述は、最近この手の人類学的記述が日本でまったく流通しなくなったなと思う。文化的な生と死の循環の回路が、現在ではほとんど断ち切られてしまった、と。
 坂本龍一さんへの聞き書き連載も読む。今週も中沢新一の固有名が登場。2010年の二人の対談集『縄文聖地巡礼』に関しての言及だった。この対談集も、ひさしぶりに読み返すことにしよう。
 他にも興味深い雑誌の記事があったのだが、これらだけでお腹いっぱい。

図書館隣のミスドに寄るも、お客さんがたくさんいてテーブルの空きが少なかったので、家族の分のドーナツだけをテイクアウトで。今日はここでの読書はなし。
マックスバリュに寄る。卵やかたまりベーコンを購入。

今日は暑かった。外気は36℃まで上がった。

夜。
図書館から借りてきた、森田真生『計算する生命』読了。うーん、これが今回、著者のやりたかったことなのか? いや、というか、今回著者は本書で何がしたかったのか? 個々の数学史的エピソードはなかなかおもしろいし、新鮮な切り口もある。例えば、カントがカント以降の数学に影響を与えているとか。で、フレーゲが出てくるのだが、そこからウィトゲンシュタインチューリングと繋げて、で人工知能(AI)という流れは、まあ話としては繋がっていないこともないが、かなり飛躍があるのではないか知らん。いや、飛躍は結構だが、わたしはあんまり納得できなかった。ついていけなかったという方がいいかな。人間が「計算する生命」(わたしとしては、「計算する生命」といいたいところだ)であるというのは、確かにわからないことはないが、でなに?当たり前じゃんって感じでもある。それは既に、カントの「悟性」の中に含まれているような気もするのだが。本書は、岡潔的な数学とは、だいぶちがう感じだけれども、いや、たぶんわたしが本書を読めていないのだろうな。