岐阜県美術館で「前田青邨展」を観る / 大城立裕『あなた』

晴。
 
NML で音楽を聴く。■バッハの管弦楽組曲第一番 BWV1066 で、指揮はジョン・バット、ダニーデン・コンソート(NML)。管弦楽組曲、ひさしぶりに聴いたな。細かいところ、こんなだったかなと思いながら聴いていた。

 
昼から県図書館。「新潮」誌11月号は前回から更新されていなかった。ついでに(?)、同号の鈴木健と森田真生の対談を読んで、暗い気持ちになる。坂本龍一さんへの聞き書き連載を読む。イニャリトゥ監督って知らなかったので(わたしは何にも知らないのだ)、U-NEXT で観てみようかなと思う。中沢さんの連載「精神の考古学」を読み返す。
 
図書館となりの県美術館で、「前田青邨展」を観る。
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わたしはあんまり前田青邨がいいとは思わない。というか、わたしにはよくわからないといった方がいいか。日本画を西洋画と拮抗させたい思いとか(それが前田青邨の歴史画なのかな)、いろいろなアプローチができると思うけれど、素朴にいって、とにかく絵としての魅力に乏しい。ひと目見てパッと惹きつけられるところがなく、観ていて、ふーんとしか思えない。日本画の真骨頂は、こんなものではない筈だ。ついでに「名品展」(所蔵品展)も観てきたけれど、こちらの方がずっといい。
 
でもまあ、美術館から出てきたら、世界がとてつもなく美しかった。秋のすばらしい一日。
 
 
AI というのは身体性をオミットしていて、つまりは「情報」を算出するだけであり、養老先生風にいうなら「脳」だけにかかわっている。それだからといって、しかし、「身体の復権」というだけではダメなんだよね。むしろ、脳と身体の相互作用が大切なのだ。というよりも、精神は脳も身体も含めた、「全体性」なのである。例えば、心が病めば、それは何らかの形で身体にも影響が現れる。
 
ヤナーチェクの「思い出」「霧の中で」で、ピアノはスラーヴカ・ペホチョヴァー(NMLCD)。なかなかよいヤナーチェクのアルバムだったと思う。ペホチョヴァーについてはまったく知らない。一流ピアニストではないのかも知れないが、そういうのにもよい演奏は確実にあるということだ。
 
 
夜。
図書館から借りてきた、大城立裕『あなた』読了。承前。ひさしぶりによい小説集を読んだ思い。静かな文章もわたしの好みだ。本書は私小説集だが、著者は本来私小説家ではないらしい。沖縄の作家として、それはつまり本土の作家とはちがうというべき、小説を書いてきたということだ。本書でもそれは随所に窺える(例えば「辺野古遠望」など)。わたしには文学がよくわからないのだが、とりあえず文学とはありがたいものだな、と思う。本土の人間は、(もちろんわたしも含め)所詮沖縄を理解し得ない、そのことが文学ゆえ、よくわかる。繰り返せば、それでも文学はありがたいわけだ。大城さんの芥川賞受賞作を含む小説集を、ネット古書で注文する。
 
それにしても本土には、本当は沖縄のことなんかどうでもいいくせに、沖縄を揶揄したり、嗤いものにしたりする人間が多すぎる。「他者」に対する最低の態度だろう、それは。