佐藤千矢子『オッサンの壁』

曇。
 
大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップ。ホット・セイボリーパイ BBQフランクフルト+ブレンドコーヒー404円。『コレクション瀧口修造2』の続き。現在は明らかに(精神的に)貧しいことを再認識させられざるを得ないが、それ(現在の貧しさ)はなぜなのだろう。リアルが酸素のようなものだとすれば、酸素が少ない。息苦しい。現在だってリアルはある筈だが、なぜそのリアルが貧しいのか。現在における我々の幼稚。といつも同じところに還ってくる。そしてそこから出ることができない。ほんと、幼稚、とは? 精神の全領域の「専門化」と、幼稚。といったことが、瀧口修造を読んでいると浮かび上がってきたりする。例えば、現在の専門家にあっては、既に瀧口修造など乗り越えられていると認識するだろう。しかしそれは、情報のレヴェルにおけるにすぎない。実際彼ら彼女らに、瀧口の言葉が発せられる地点を感じることができるか? 残念ながら、そのような感受性を欠いているのだ。知的に高度であっても、情動のレヴェルを欠損している。
 もちろん、精神が貧しかろうが何だろうが、一度きりの自分の人生なんだから、やれるだけのことをやるしかないというのはそのとおり。しかし、「リアル」が感じられなければ、それはクソだろう。いや、もはや「リアルって何だ?」という段階なのかも知れないのだが。感受性を欠いていれば、感じることはできない。山や川が存在しても、じつはリアルを伴って見えてはいない。
 
って何だですよね。
 
からしばらく激しい雨。
 
 
TSUTAYA へ。ここ、そのうちまちがいなく潰れるので、興味のあるものはいまのうちに借りておこう、と。
SAO プログレッシブの「星なき夜のアリア」がレンタル開始になっていた。映画館で観たけれど、そのうち借りるか。
 
ひさしぶりにカルコス。もう、どういう本を買ったらよいのかわからなくなっているわたくし。とりあえず文庫新刊のナボコフ『ディフェンス』(若島正訳)と、ちくま文庫の『E.M.フォースター短篇集』を購入。何か新書本をと、講談社現代新書の『オッサンの壁』と岩波新書の『職業としての官僚』を選ぶ。前者はある女性がどこかで「これは自分のことだ」と書いていたので、買ってみた。世のオッサンたちがいかにクズかということを書いてある本のようだが、さてどうだろう。
 以前だったら、ちくま学芸文庫の『ポストモダニティの条件』とか、きっと買って読んでいたと思うが、もうこういうのはめんどうになった。でも、そのうち買うだけは買うかも知れない。
 

 
夜。
佐藤千矢子『オッサンの壁』読了。とてもおもしろかった。万人にお勧めできる、というか老若男女に勧めたい本。上で「世のオッサンたちがいかにクズかということを書いてある本」と推測したが、そんな単純な本ではなかった。女性の政治記者として第一線で働くことを切り開いてきた著者による、日本で女性が働くのがいかに大変か、ということを書いた本だが、こう書いても正確じゃないよね。正直いって、わたしは本書をうまく紹介できない。著者は「おわりに」で、「女性に関わる問題になると、自分の言葉を持たない男性がけっこう多い」(p.233)と言い放つ。せいぜい、「ジェンダー平等? それは大事な問題だよね」とか、「選択的夫婦別姓? わかるよ、改姓すると女性たちは自己喪失感を感じるんでしょ」程度だと。じつに辛辣だが、わたしもまたそんなもので、言い当てられた感じがした。ほんとに、我々男性は知らない、言葉をもっていないのだ。でもそれは当たり前といえば当たり前で、これまでやはり女性たちは声を発していなかった、いや、声を奪われていたから、端的に男たちは知らない。もっと多くの女性たちが声を挙げないと、我々男性の想像力だけでは限界があるのであり、それゆえ本書のような本がもっと増えるべきだと思う。と、女性、世間、現実の社会をよく知らないわたしのようなオッサンがいうのでありますが。

働くのに本来、男も女もあるもんか、ってことだが、それが当たり前になるのがいかに困難か。歩みは遅く、残念ながらまだまだ先は長そうだ。著者のいうとおり、クオータ制など強制的な男女の同数化を日本も導入すべきであると、わたしも思う。このままでは、いつまで経っても状況は変わらない。
 
 
IS〈インフィニット・ストラトス〉』(2011)第2話まで観る。誰か、萌え豚の願望を具体化したアニメとか、めっちゃ口の悪いことをいっていたが(ひどいね)、わからないでもない…。