吉見俊哉『平成時代』

日曜日。曇。
 
あんまりダラダラしていてはいけないと、昼から吉見俊哉『平成時代』を一気に読了。安倍元首相が殺害された 2022.7.8 に、何となく「平成史」のような本が読みたくなって、ネット古書注文したもの。個人的なことを書くと、わたしは30年間の平成時代というものが、クリアにイメージできていない。そういうこともあって、時系列順に平成にはどんなことがあったか、振り返ってみたかったのだが、本書はそういう目的にはあまり役に立たなかった。特に東日本大震災以降のことについてあまり記述がない。例えば平成最長の第二次安倍政権(2012-2020)についてほぼ何の記述もなく、よってアベノミクス(リフレ政策)についても記述がないなど、大きな欠陥がある。基本的に本書は平成時代を意図的に「暗黒時代」として描いているため、ある程度成功したアベノミクスを無視したのであろう。「平成日本=クソ」という立場なら、それならそれでもよいわけであるが、記述はかなり放恣、気ままに思える。特に経済的分析は素人目にも俗っぽく、社会学者にはちょっと荷が重かったのではないかという印象を受けた。…というのはわたしの素人感想にすぎないわけであるが、本書もまた、その程度(素人感想)のレヴェルに見える、というところである。結局、平成って何だったのかなーという個人的疑問は、ほとんど解消されなかった。ひたすら、「平成日本=クソ」一本槍。まあ、それが事実だとして、どうしてそうなったのか、説得的に語れる人間は、いまのところひとりもいないのかも知れないけれども。
 しかし、もっと「科学的」な平成史の本は、ないものなのかねー。

時代遅れの言い方をすると、平成はずっと「ポストモダン」の時代であったから、「大きな物語」が既になかった。知はアカデミックに専門化、細分化され、文化的にも「島宇宙化」して、統一されたすっきりした視点を得るこということが、そもそも無理な時代であったということかも知れない。本書で大きなタームといえば、経済のグローバル化であり、インターネットの登場、格差社会の到来、などであろうか。本書になかった言葉では、管理社会化というものがあるだろう。しかし、わたしの知りたいのはそういうことではない気がする。自分の関心に思いっきり引きつければ、我々の「幼稚化」とでもいうべきものが気になる。平成は我々の不断の「幼稚化」であったように思えるが、それが何なのか、わたしにはまだよくわからない。これはたぶん世界的なものであり、そこでは日本はじつにトップランナーなのである。そこまでいくと、「平成」という枠を外れてしまうけれども。
 

 
夜。
「鎌倉殿の13人」を観る。タイトル回収。で、来週からまた殺し合いが始まる。
 
YouTube 動画を漁る。「リコリス・リコイル」ちょっと観てみたいな。