こともなし

日曜日。薄曇り。
昨晩は明け方近くまでプログラミングで遊んでいたので、少し寝坊。眠い。

曇。
あいも変わらず Ruby で遊んでいる。集中してそればかりやっていたので、何かコーディング力はレベルアップした気もするが、さすがに疲れた(👈バカ)。いい加減にしようと、夕方少しだけ散歩してくる。写真を撮るつもりはあまりなかったのだが、用水が水を満々と湛え出したので、多少興が乗った。でも、平凡写真たちです。



梅が実をつけていた。

水を湛えた用水。
マスクを着けて歩いている人が結構いる。わたしはマスクを着けずに歩いているので、皆んな避けてくれてありがたい(?)。
高速道路の高架橋の下に、ツバメなどが巣を構えている。鳥たち、いいところを見つけたな。

老父は一日中部屋に閉じ籠っていて、ご飯のときでもだまーっている。大丈夫かな。

夜、ベッドに転がりながらだらだらとネットを見ていて、某 SNS なども見て、愚かにもつくづくうんざりする。まったく、生きるということはほとんどが無意味の連続であるが、そんなような言葉はいま読んでいた吉本隆明全集にあった。わたしは、吉本さんの主要著作ではない文章、いまでは全集でしか読めないような、周縁的な文章が好きである。ここには仕事場のあり様というか、普段の吉本さんがさらけ出されていて、わたしのような平凡人には示唆するところが多い。しかし、何で自分は吉本さんなんか(?)が好きなのだろうな、とか顧みると、それはたぶん、吉本さんの文章を読んでいると、自分のことをつくづく考えさせられるからだと思う。ほとんどの人は、意外と自分自身のことなど考えないものだし、考えさせられるようなきっかけも滅多にない。大部分の文章は、いまわたしの中に入ってくるとすぐに空中分解してしまう。昨日だったか今日だったか、ゆたさんのブログ経由でパンデミックについての浅田さんの文章を読んだが、すぐに空中分解してしまってほとんど何も残らなかった。今日新聞で読んだ、人文学を軽視してきた奴らは氏ねという秀才の文章も、たちまち塵になってしまった。わたしはバカすぎて困る。

吉本さんの全集のこの巻は、それこそ主要著作の『最後の親鸞』以外はこれですべて読んだ。『最後の親鸞』は文庫本でもちろん読んでいて、たぶん吉本さんの最重要著作の一なので、この全集版で読み返してみよう。それにしてもこのところわたしはじつに本を読まなくて、到底読書家などではないとあらためて思う。(AM00:38)