虹 / グレート・リセット

曇。
たっぷり寝て昧爽四時頃に目覚める。いったん起きるも、眠くてまた寝てしまう。

午前中はごろごろうとうと。何だかすごく眠い。


昼から珈琲工房ひぐち北一色店。行く途中、ポカポカと明るく照っているのに、傘が要るくらいの本格的な天気雨(?)になる。初時雨。北へ右折したところ、北東方向にきれいな半円を描いた、クリアな虹が出ていた。しかも二重で。外側の大きい方は、ちょっと薄め。こんなに見事な虹はちょっと記憶にないなと思いながら運転していた。あざやかな色で、まさに七色数えられるくらい。普段カメラを持ち歩かないので(ガラケースマホも所有しない)写真はないが、まあそれもいいだろう。
 村上春樹『古くて素敵なクラシック・レコードたち』の続き。題名に「古くて」とあるとおり、モノラルからステレオ初期の古い録音がほとんど。わたしは昔からひどく貧弱な音で(しかもヘッドホンという邪道で)聴いているので(村上は相当によい再生装置をもっているみたいだ)、古い録音はつらいから、村上春樹のセレクトしている盤は聴いたことのないものばかり。NML では、わたしは現在の(若くて無名の)演奏家を聴くことが多いし(半分はすぐ聴きやめてしまうが)、よい演奏でも(コンサートのように)一期一会で、聴き返すことはまずない。レコードとかCDという「モノ」があると村上みたいにじっくりと何度も聴き返したくなるだろうし、また村上の耳のよさゆえ、本書の記述は興味津々で、じつにおもしろい。(デジタル配信は、記憶に残りにくいと思う。)自分を棚に上げるが、プロの音楽評論家も含めて、これほど聴けている人はいま他に少ないと思う。お勉強のために読むような本ではないけれど、楽しみながら、多多勉強にもなってしまうというオマケつき(?)だ。曲のセレクトもわたしの好みとは全然ちがうが、それも楽しい。いや、これいい本です。貧弱な市の図書館、よくぞ入れてくれました。

 

「『知恵の輪熊』の可愛らしさは誰にもわかるまい」をいうのを読む。あの蓮實重彦が、あれほどの人が、無惨としかいいようがないな。古来の人間と熊の関係の人類学的な厚みを御存知ないとも思えないのだが(敢て言及しなかったにしては…)。何より、あの人にしては文章が決定的にダサい。蓮實重彦、何かあったのかな。ま、わたしなんぞがいうのも何だが。

夜。
NHK+で、NHKスペシャルグレート・リセット〜脱炭素社会 最前線を追う〜」を観る。わたしは恥ずかしながら、「グレート・リセット」という言葉を知らなかった。脱炭素社会を実現させていくため、従来の社会を大きくリセットしていくという意味である。いまでは少しずつ知られてきた事実だが、何をやっても気温上昇に歯止めが利かなくなるリミットまで、このままだとあと10年あまりしかない。それを防ぐためには、相当に大きな社会と生活の転換が必要だ。このままだと、比喩ではなく、地球が壊れてしまうのである。
 番組では、脱炭素社会の実現のため、世界が大きく動こうとしている様子が描き出されていた。どうやら、事態は急速に動いているように思えた。しかし、わたしも含め、日本人に危機意識は少ない。若い人たちに事実を伝え、リーダーシップをできるだけ早く彼ら彼女らに渡すと共に、わたしたちの世代もとにかく事実を知ることが必要だろう。事実を知らねば、何も始まらないのである。その点で、世界の動向とギャップが大きいのはまずい。
 わたしは正義派はたいていきらいだが、気候変動問題に関しては正義を主張するしかないと思う。地球が壊れ、もはや次の世代の生活すら危険となれば、猶予はもう少ししかなく、先延ばしすることはできない。というか、世にいっぱいいる日本の「正義派」どもは、いったい何やってんの? これ以上に喫緊な問題って、あるの?

それにしても、SDGsという言葉はいまの日本でも充分氾濫するようになったが、気候変動問題に関しては、たぶんSDGsくらいでは済まない。それでは生ぬるすぎるのである。そして、気候変動問題は個々人の取り組みだけでは限界があるのも確かだ。どうしても政治が強力にプッシュしていく必要がある。特に、個人と社会の間が遠い日本では。

エラソーなことを書いたが、わたしもまた社会からひどく遠い人間だ。部屋でごろごろしているだけ。でも、そういうどうしようもない人間が考えるということに、多少の意味があると思う。世の中の人間はもっと社会と関わっている立派な人たちばかりだからね。