『山田稔 自選集 II』 / 坪内祐三『アメリカ』

晴。

昼食は焼きそばなのに、ぼーっとしていてお米を研いでしまう。

肉屋。マックスバリュ。ぼーっとしていて、マックスバリュに行くことをほとんど失念していた。

サブ機の Ubuntu 21.04 を、21.10 Impish Indri にアップグレードする。ほぼ自動的に終了し、トラブルもなかった。
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その他、いろいろ放りっぱなしになっている Linux の OS を計五つ(PC三台)をアップデートする。皆んな Ubuntu 系統なんだけどね。
ついでに、必要になっていたマウス2つ、USBハブ1つを注文。
Windows Update の厄介さに困る(後記:丸半日かかった。勘弁してくれ)。

編集工房ノアから出た、『山田稔 自選集 II』読了。自選集全三冊が県図書館に入ってるのを老母が見つけ、借りてくるように云われたものである。既読の文章も結構あった。わたしのもっている世界とはまったくちがうが、とにかくいまこれほどコクのある日本語の文章を書ける文学者は、他にほとんどいないだろう。タイプはあまりにもちがうが、(そして文学者ではないが、)中沢さんくらいのものであろうか。暗い暗い、回想の世界。文学とは、すばらしく、また嫌なものだなとつくづく思う。それから、わたしは青春時代を京都で過ごしたので、山田さんの作品の舞台になっている場所の多くに土地鑑があり、しみじみとなつかしい。ストリートビューで見ると、もうわたしの京都は多くが残っていないのだな。あまり思い返すことはないが、それでも土地はいまでも記憶に鮮明だ。

 

図書館から借りてきた、坪内祐三アメリカ』読了。副題「村上春樹江藤淳の帰還」。なかなかおもしろかった。特に江藤淳についての考察をおもしろく読んだ。本書を読んでいて、わたしはアメリカについては、まあどうでもいいんだなということに気づいた。どうでもいいというか、わたしにとってのアメリカは、現在においても日本を政治的・軍事的に属国化しているところのその国という点が、いちばんである。アメリカ文化というのには、特別に惹かれたという記憶がない。そこが、わたしの大きな弱点でもあろうか。
 江藤淳は、日本の「近代文学そのもの」、化身であるといっていい。つまり、明治において開国し、西洋に追いつき追い越せとやっていった、その果ての「文学」だ。それが滅びた以上、江藤淳もまた滅びたのであり、あれほどの存在でありながら、江藤淳の死後、その著作集すら出ない。そんな江藤淳が、わたしにはいまだに気になる。
 なお、本書では村上春樹について多く語られるが、彼の小説については『風の歌を聴け』以外、ほとんど言及されない。わたしは、最近になって村上春樹の小説もまた、気になっているところなのである。

 

夕食のデザートに紅玉のコンポートを食った。うまかった。紅玉は御存知のとおりそのまま食べるにはすっぱいので、老母が作ったのである。

青柳いづみこを読む。