J.アナス&J.バーンズ『古代懐疑主義入門』/インゲボルク・バッハマン『三十歳』

晴。
睡眠時間が長いのはどうなのかなあ。却って疲れてあんまりよくない気がする。
ずっと見てきた一連の夢の意味(?)がおおよそわかった。凡人だなあ。
凡夫一生修行。

J.アナス&J.バーンズ『古代懐疑主義入門』読了。副題「判断保留の十の方式」。セクストス・エンペイリコスに対する注釈という形式の本。まあおもしろくないことはないけれど、懐疑主義ってのがおもしろいかなあ。僕が読書中につらつら思っていたのは、仏教が西洋人によってよく「懐疑主義」乃至「相対主義」といわれることであった。仏教が懐疑主義というのはどうかと思うが、相対主義というなら、そういう言い方は無意味だとは思わない。(なお、本書では「相対主義」としての懐疑主義についても論じられるが、著者たちの立場としては、懐疑主義相対主義は区別される。)仏教を言葉で表すのはむずかしいが、確かに仏教はある種の相対主義だとも言えるだろう。しかし、まったくの相対主義ではない(あるいは、あまりにも完全な相対主義である)ところとして、相対主義も相対化する相対主義であるとも言えるだろう。これは西洋哲学では、いわゆる「自己言及性のパラドックス」であり、矛盾であって意味がない命題とされるが、仏教にはそれは「矛盾」でもなんでもないとも言える。まあこれは、あくまでも比喩のひとつにすぎないわけであるが。
 なお、古代の懐疑主義と現代のそれを比べると、古代のそれは、「こころの平安(アタラクシア)」を実現するためのポジティブで実践的な哲学なのであり、その意味で現代のそれよりも優れてすらいるというのが、著者たちの意見である。おもしろいですね。これも仏教との類比を考えたくなる。そもそも、現代の懐疑主義って何がしたいのか。

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)


インゲボルク・バッハマン『三十歳』読了。松永美穂訳。短篇集。申し訳ないが、肯定的な印象をまったく受け取らなかった。たぶん著者は自分と比べれば遙かに「人生を知っている」のであろうが、自分には幼稚くさくて読めたものではなかった。気の利いた小説を書いていると言われたいがために書いたとしか思えない。まあ自分には文学などわからないので、文学通は高く評価するのであろうが。表題作の主人公など、意識高い系すぎる○○○でウンザリさせられる。どこからどこまで悪い意味でニセモノの「人生」たちだ。僕はこれは、ワザとやっているのではないと思う。著者がツェランの恋人だったって? まあそれが事実なのだろうな。理解できなくてスミマセン。
三十歳 (岩波文庫)

三十歳 (岩波文庫)

まあこれ、読む人が読めば「カッコいい」小説たちなのだろうけれどね。そういう読み方を嫌悪する。いや、凡夫丸出しの何様的だな。
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前にも書いたように、You Tubeはてなダイアリーへの埋め込み動画が Google Chrome で一時再生できない不具合があったのだが、それは一応復帰した。今日気づいたのだが、今度は埋め込み動画の下部に「The You Tube Flash API was officially deprecated on January 27th, 2015.(You Tube Flash API は 2015年1月27日に公式に非推奨になりました)」と表示されるようになっている。どうやら You Tube 動画のはてなダイアリーへの埋め込みは You Tube 公式の iframe タグで行う方法にした方がよさそうだ。ただこれ、デフォルトだと僕のブログにはちょっとサイズが大きすぎるのだよね。いちいち修正するのが面倒だ。