S・ウェバー『オープンソースの成功』/蜂飼耳『おいしそうな草』

日曜日。晴。随分と涼しくなってきた。
たくさん夢を見たような気がする。覚えていないのが残念。早寝遅起き。怠惰だなあ。このところ本も読めていないけれど、たぶんまた読めるようになると思う。
音楽を聴く。■バッハ:オーボエ・ダモーレ協奏曲BWV1055(ピノック、参照)。素晴らしい。同じ曲がハープシコード協奏曲にもあるけれど、こちらが原曲なのかな。いずれにせよオーボエ・ダモーレとよく合っていて、じつに美しい。これは、ピノック+イングリッシュ・コンサートの実力でもあろう。贈り物なんかにもぴったりなディスクだと思う。■モーツァルト交響曲第三十九番K.543(マッケラス、参照)。どうもピンとこない。表面的にピリオド楽器の奏法を取り入れているのは、自分には成功しているとは思えない。なんだかせわしないのだ。少なくとも、自分なら絶対にこうは演奏しないだろう。でもまあ、これは評価の高い演奏であるし、客観的に見ればこちらがおかしいのかなとも思う。生き生きとした名演と感じる人も居るのではないか。
2015年夏_21
図書館から借りてきた、S・ウェバー『オープンソースの成功』読了。山形浩生&守岡桜訳。オープンソースと云っても色々あることがわかった。何でもオープンソースにすれば、それで上手くいくわけでもないようだ。例えばネットスケープは自社のブラウザのソースコードをオープンにしたが、コードがぐじゃぐじゃすぎて使い物にならなかったという。では、Linux はどうして成功したか。それはやはり、リーヌス・トーヴァルズが上手く対応したからだろう。率いるのがトーヴァルズでなかったら、必ずしも成功しなかったかも知れないし、トーヴァルズですら対応を殆ど間違いかけたこともあった。やはり無秩序ではダメなのだ。本書以降も、オープンソース化の流れは止まらない。一方で、コンピュータのことをよく知らない人が PC を使うようになったので、ある程度の知識が必要な Linux を敬遠する人の絶対数は増えたのかも知れない。僕も Linux を使いたい気持ちは少なからずあるが、やはり今のところはメインでは Windows 7 を使ってしまう。しかし、マイクロソフトですら Windows 10 を遂に無料にしたしね。この流れは止められないだろう。
 本書では著作権の問題にもかなりページを割いているが、この著作権というのも厄介だ。本書で扱われるのはプログラムの著作権であるが、コンテンツの著作権は、インターネットのせいで本当にむずかしくなった。自分の印象では、コンテンツのある程度(それは相当大きい)の無料化は避けられないような気がする。それよりも、他に何らかの形でクリエーターにお金が入る仕組みが必要だと感じる。個人的には、インターネットからクリエーターに「寄付」ができるといいと思う。自分の好きなクリエーターに、コンテンツを買う以外にお金が渡せるといい。それから、インターネットに適合したお金の支払い方を工夫するとか。例えば、音楽なら、クリエーター自身が You Tube に動画を公式にアップして、視聴者と契約すれば、クリック一回で10円(というのは適当に書いたが)支払えるとか。それから、最近話題のストリーミングなどもいい。いや、あんまり本書に関係がない話ですね。
 しかし、Linux 対応のソフトって、どういう人が作っているのだろう。売っているものと遜色ないか、勝っているものすらあるのですけれど。たぶん、プロが遊び(と信念)で作っているのだろうなあ。しかし、本書には膨大な数の人名が出てくるのだけれど、日本人って一人でも出てきたっけ。まだまだである。

オープンソースの成功―政治学者が分析するコミュニティの可能性

オープンソースの成功―政治学者が分析するコミュニティの可能性

図書館から借りてきた、蜂飼耳『おいしそうな草』読了。繊細な文章で綴られたエッセイ集だ。言葉を大切にする詩人らしい文章だと思う。詩人の少なからずはエラそうな散文を書くが(どうしてあんなにエラそうなのか)、この人はそんなことはない。結局、陳腐な評言だが、ある種の繊細さを感知する才能があるのだ。まだこの人の詩は読んだことがないが、読む前から何となく予想できるし、そしてそれは肯定的なものである。才能を感じるのだ。
 詩人は古くさいもの、今では忘れ去られたものをたくさん読んでいるようで、本書にも色々な本から引用があるが、文章はちっとも古くさくない。普通に暮らしているのに、霞を食っているようなところもある。大げさに語らず、静かで、字面がほんのり発光しているような文体だと思う。現在に生きつつ、その目は太古にまで行き届いているかのようだ。
 まったくどうでもいいことだけれども、本書のページの間に、前に借りた人の貸出票が挟まっていた。本書以外では、「丹生都比売」「ピスタチオ」「醜い花」とある。それぞれ誰の著作か知らないが、なかなか連想を誘う題ではなかろうか。たぶん、借り主は女性なのではないかなと思う。そうだとして、歳はいくつくらいなのか。どういう生活を送っている人か。借りられた著作の書き手を特定すればまたちがうであろうが、ここは敢て調べないでおこうと思う。
おいしそうな草

おいしそうな草


明日から家族旅行に行ってきます。

古谷経衡「「反安倍」という病」in『新潮45』 --Economics Lovers Live ReF
田中秀臣先生が、古谷経衡氏の分析として、今の「安倍嫌い」は

国民の多数に支持されている安倍晋三氏への「嫉妬」

であると纏められているのを読みました。田中先生はこれは「納得の行くもの」と述べられていて、大変に好意的です。確かにそういうことはあるでしょうが、まあ「安倍嫌い」とはちがうかも知れませんけれども、今回の法案に戦争体験者たちが挙げる声(それは殆どが法案に反対でしょう)もそうなのでしょうか。田中先生は、そういう人たちにはっきりと「あなた方が戦争を体験したのは事実だが、あなた方は間違っている」と言うべきでしょう。何より、経験者たちはそれこそ「経験」してこられたのだし、その「経験」は重いのですから。
 それにしても、安倍首相って、「国民の多数に支持」されているの? 近頃の世論調査って、そうだったっけ。いわゆるアベノミクスを支持している人は多いけれども、今回の法案についてもそうだったかなあ。僕の記憶がおかしいのか。
 それから、僕は安倍首相は嫌いです。あの自己陶酔ぶり、そして支持率が下がってきてからの態度の急変(とたんにいやに低姿勢になりました)が、政治家として見るに堪えません。もちろん、政治家を好き嫌いだけで判断してはいけませんが、どうしようもないことです。まあ、上の分析によれば、これは僕の「嫉妬」ということになるのでしょうね。
 しかし、中身も読まずに記事の見出しに反応してはいけないかも知れないが、それにしても「「反安倍」という」ってのはヒドくないか? 「反安倍」の人は(精神的な)「病人」だと云うことでしょう? レトリックなのだろうが、PC の観点からしてもマズいのではないか。
 でもまあ、ここに書いたことは、どうでもいいと云えばどうでもいい。もう法案の成立はほぼ確定事項だし、お互いに相手を「バカ」呼ばわり、「病人」呼ばわりすることに興味をもてない。僕が気になるのは「沖縄問題」です。最前線は国会議事堂の中にはありません。沖縄こそが最前線なのです。だから敢て言うなら、安倍首相を支持する人は、まず第一に沖縄を説得すべきです。今の法案も、「アメリカの『属国』としての日本」というパラダイムの下にあるのであって、それが沖縄にひずみを齎しているからです。今の政府も本土人たちも、それを隠蔽していますが、沖縄の人たちにはっきりと見えていることは、間違いありません。(PM23:38)