『鴎外随筆集』再読/渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』/永田和宏『近代秀歌』

晴。のち曇。
昨晩眠る前に、岩波文庫の『鴎外随筆集』を拾い読みしてみたら、これがよかった。始めは「空車(むなぐるま)」という一篇を読み返したくて、本を開いたのである。古言を新しい意味に生かして使うという、いかにも鴎外らしい試みに関するエッセイだ。とにかく、見事な文章である。明晰で、高雅であり、新しい言葉と古い言葉の混淆具合も申し分ない。確かに冷たい肌触りはあるが、これも必ずしも否定的にばかり捉えることはないだろう。文章家として傑出していることは、誰の目にも否定できまい。
 「長谷川辰之助」も感動的だ。鴎外がこれほど二葉亭四迷に思い入れがあったとは。『浮雲』には、鴎外も驚かされたらしい。箇条書きの「夏目漱石論」は、もちろん興味深い。「鴎外漁史とは誰ぞ」では、鴎外漁史なんていう名前は忘れたねと云いつつ、自負もそこはかとなく示しているのに今回気づいた。露伴を非常に高く評価しているのは、うむ、そうでなくてはと思う。そして「なかじきり」。これが結局、総決算になった。
 吉本隆明は、鴎外は勉強家だと言ったが、それを思わせるものもある。例えば「潦休録」。じつによく読んでいて、驚かされる。当然のように、ニーチェシュティルナーなどにも目を通している。ダンテは独訳で読んだのだろうか。
 とにかくどれも、今書かれたとしてもそのまま通用する、新鮮な文章である。いや、これほどの文章を書ける人は、今では一人もおるまい。これを見ても、芸術というのは、必ずしも時代と共に進歩するわけではないことがわかる。どうもありきたりの結論になったが。

鴎外随筆集 (岩波文庫)

鴎外随筆集 (岩波文庫)


プール。アピタとその本屋。車中ではずっと、ベートーヴェンのラズモフスキー弦楽四重奏曲を聴いていた。

渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』読了。一読、凄い才能ってのはいるものだなと興奮した。著者は詩人だそうだが、まったく知らなかった。これほどの才能が埋もれてるということはあり得ないから、恐らく、知らなかったのは自分だけであろう。さて、本書は一種の評論集なのかも知れないが、自分はとにかく刺激的な「文学」だと読んだ。ナイーヴな読みだが、何て現代詩って面白いんだと思ったね。引用してある詩は、自分が単独で読んでいれば、鼻も引っ掛けないであろうものが多い。結局、詩を読む感性の引き出しが、少ないのだと思う。楽しく勉強させて頂きました。著者の詩も読んでみたいな。しかし、本当に田舎の本屋には詩集などなかなか売っていないのだ。図書館から借りてきた、永田和宏『近代秀歌』読了。著者の意図は、近代短歌の中から、これだけは最小限知っていて欲しいと思われる、「有名な」短歌を集めることにあった。であるから、必ずしも傑作ばかりではないのだが、こういう常識的な歌を知るというのは、本書を読了してみて、相当に大切なことなのではないかと思った。明治・大正期の古典的な歌人たちの、代表歌が収められていると云っていい。読み始めは古臭い短歌が多いように感じたが、やはり有名になった歌というものには、力を感じるものが多かった。読んでよかったと思う。
近代秀歌 (岩波新書)

近代秀歌 (岩波新書)

中沢新一を読む。

音楽を聴く。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第九番(グァルネリSQ)。第二楽章と終楽章が格好よすぎる。特に第二楽章は、達人の歩みのようで、飄飄としている。ラズモフスキーの中ではこの曲はあまり聴かなかったのだが、認識を改めた。グァルネリSQの演奏も申し分ない。■ショパン:バラード第一番、第二番。マズルカop.7-3, op.17-4, op.33-2。練習曲op.10-3, op.10-4(ペライア)。ペライアマズルカ全曲録音をやって欲しいなあ。