谷川俊太郎編『辻征夫詩集』/池内紀『文学フシギ帖』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:ピアノ協奏曲第四番BWV1055(シフ、参照)。■メンデルスゾーンピアノ三重奏曲第二番op.66(グリーグ・トリオ、参照)。まずまず。■フンメル:ピアノ三重奏曲第七番op.93(トリオ・パルナッスス、参照)。何かいいなあ。何となく元気が出てくる。不思議。

谷川俊太郎編『辻征夫詩集』読了。驚いた。辻征夫って全然知らなかったのだが、こんな詩人がいたとは。素晴らしい。って評にも何もなっていませんね。こんな詩なら書いてみたかったなあ(もちろん無理だけど)。さすが岩波文庫じゃないか。それにしても、自分は何にも知らないな。何も知らずにエミリー・ディキンソンを読んだときも驚いたが。
 抒情詩? ユーモア? 確かに。しかし、それだけでは括れない。ホント、この詩たちはどこから来ているのか。その辺の飲み屋とかラブホテルとか押入れとかから来ているのか。日常なんだけど、宇宙からとか。知りません。

辻征夫詩集 (岩波文庫)

辻征夫詩集 (岩波文庫)

図書館から借りてきた、池内紀『文学フシギ 帖 』読了。文学者の ちょっとしたエピソードの扱いが、いつもながら上手い。色々な本が読みたくなる。自分の好きな作家(開高健澁澤龍彦など)の記述など、多少納得できないところもあるけれど、それは文学の常であろう。明治の作家が、ことに懐かしい。
文学フシギ帖――日本の文学百年を読む (岩波新書)

文学フシギ帖――日本の文学百年を読む (岩波新書)

池内さんの本を読んで、露伴を読み返す。露伴の文語文は、日本語のひとつの究極的達成であろう。もちろん和漢の全領域に通じているわけであるが、福田和也の言うとおり、露伴には英語の骨格も入っていると認識すべきかも知れない。漱石や鴎外ほど西欧語に通じてはいないが、英語の百科事典を常時参照するくらいの英語力は楽にあった。露伴は確かにむずかしい言葉を使うけれど、極めて明晰で頭にすらすら入ってくるのは、たぶん英語のせいなのだと思う。そして芸術的達成という点から見る限り、日本文学から露伴を外すわけにはいかない。
 それから、露伴の口語文はこれとはまたちがう。面倒だからもう書かないけれど、露伴の口語文が未来に通じていることは記しておこう。

自分の精神が荒涼としているから、他人の精神がそう見えるのかな。素寒貧で荒んでいる。不毛な大地。自分の畑を耕すことが容易でない。まさしく、ここから出発せねばならない。水もないし肥料もない。大気はどんよりとして、腐臭すら放っている。意志の力はゼロ。将来への展望は皆無。これこそがデフォルトだ。