『日本近代随筆選 1 出会いの時』

曇。のち雨。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十一番 K.467(ペライア参照)。■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第二十三番 op.57+アンコール (リヒテル参照)。1960/10/19 Live. リヒテルはこの曲を得意にしていて、多くの録音(殆どがライブ録音)が残っているが、この演奏もまた凄まじいものである。まさしくリヒテルの面目躍如、超人的な演奏とはこのことだろう。聴衆の興奮も当然。ロマン派ばかりのアンコールもまたよい。■ブラームス交響曲第二番 op.73 (バーンスタイン NYPO 1962)。久しぶりの拷問的無神経な演奏。バーンスタインブラームスがわかっていないな。この演奏でもよくわかるが、バーンスタインはよくも悪くも野蛮なのだと思う。それがいい方に出ると、溌剌とした生命力に溢れた新鮮な演奏を聴かせてくれるのだけれど。しかしまあ、終楽章はまずまず悪くなかった。いずれにせよ、ブラームスバーンスタインはミスマッチ。■メシアン:峡谷から星たちへ…〜第一部と第二部 (チョン・ミョンフン参照)。メシアンを聴いていると、一神教というものを真剣に探求せねばならないことを痛感させられる。我々東洋人には超越的な外部という発想そのものがないが、一神教は我々の手の届かない超越に直接触れていこうとする衝動を抱えている。これは、我々には非常に不思議なものだ。メシアンの恐るべき巨大さがそこからきているのは、ほぼ間違いないと思う。メシアン聴くべし。それから、弟子のブーレーズクセナキスもそのうち聴き直そうかな。ってやることだらけだけれど。

昼から雨。県営プール。肉屋。スーパー。
OpenGL で GIFアニメを作って遊ぶ(参照)。

岩波文庫版『日本近代随筆選 1 出会いの時』読了。一気に読み終えた。日本の近代文学は、何といっても自分のベースになっていることを再確認した。程度のちがいはあっても、どれも慕わしい感じがする。冒頭に鴎外をもってきたのはよかった。結局、本書の中でこの「サフラン」が最高のものであろう。露伴はまた露伴で自由闊達、これは現在の日本語に注入する価値をもっていると思う。子規や中島敦はさすがという感じ。川端康成の「末期の目」は、何がいいたいのかくねくねしつつ、不気味なものを覚える。それから、物理学者たちの随筆が五篇も選ばれているのは嬉しかった。そしてどれもいいものだと思うのは、自分がかつて物理学徒であった贔屓目ばかりではないと思う。続巻が楽しみである。