岐阜県博物館の特別展「壬申の乱の時代」を見る / 三中信宏&杉山久仁彦『系統樹曼荼羅』

休日(体育の日)。晴。

昼から岐阜県博物館へ行ってきました。特別展「壬申の乱の時代-美濃国・飛驒国の誕生に迫る」というのを見てきたわけである。国宝の木簡出土品の展示が今日までなので。岐阜県博物館は関市の「百年公園」という県の森林公園の中にある。公園はこんな感じ。

百年公園内は休日のせいもあって、そこそこ人が来ていた。特別展はガラガラに空いていました。展示は意外とおもしろかったけれどね。奈良時代とかの資料に地元の地名が出てくると、何となくうれしい。まあ古くから中央集権体制に組み込まれていたということですが。それから司馬さんが仰ったとおり、美濃地方は昔から兵隊の供給源で、特別展の「壬申の乱」というのも、大海人皇子(のちの天武天皇)が勝利した理由が、最初に「不破の関」(岐阜県美濃地方にあった)を抑えて美濃地方の豪族を味方に引き入れたからというのが大きいためである。展示には各務原市の遺跡から出たものもあった。写真が撮れるとよかったのだけれどね。まあまあおもしろく、満足した。
 帰りにコメダコーヒー岐阜関店に寄る。コメダ名物の「シロノワール」をひさしぶりに食ってきました。全部で 3時間弱、26km あまりのドライブだったかな。

一家が岐阜公園あたりに遊びに来たようで、夕方にウチに寄っていった。いつも幸せを置いていってくれる感じ。

図書館から借りてきた、三中信宏&杉山久仁彦『系統樹曼荼羅』読了。副題「チェイン・ツリー・ネットワーク」。図版がとても魅力的。というか、三中先生の小難しい本文はそこそこに、図版を見てばかりいた。僕はもちろん三中先生の二冊の新書(+NHKブックス)は読んでいる。その基本的前提のようなものであるが、「系統樹」という発想はおそらく人間の脳に初めから存在するもので、「系統樹」という思考法がなくなることはあり得ない。本書を読んでいて系統樹の魅力を愚考するに、自分が系統樹でおもしろいと思うのは、その「恣意性」であるようだ。どうも、あまり「正しくない」系統樹の方が、どうしてもおもしろいのだもの。系統樹という発想が抜きがたいからこそ、本当にその「情報」が系統樹にふさわしいかどうかは措いて、つい我々は系統樹を描いてしまうのである。我々がいまふつうに系統樹といって思い浮かべるのは、生物の系統樹であろう。それはダーウィニズムと結びついて、系統樹の典型を作っている。というか、進化論は系統樹から生まれたといってもある意味ではまちがいではないだろう。ただし、ダーウィン自身は、生物系統樹に対して完全に肯定的とはいえないようだ。『種の起源』に掲載されているツリー状の図版は、きわめて単純で抽象的であり、全然おもしろくない。それに対し、ダーウィン以前のヘッケルの系統樹の見事さといったらない。だからもう少し正確にいえば、系統樹は進化論を普及させたのであるとも言えるかも知れない。それにしてもその三中先生の新書にもあったが(いや、なかったっけ?)、「種」という概念の厄介さといったらない。まあ無知の泥沼にハマり込みそうなので、この話題は避けよう。
 系統樹の「いかがわしさ」であるが、そのひとつに「階層」(ハイアラーキー)の概念があるだろう。階層というのはどこかイデオロギー臭がする。自然界には、厳密な意味で階層を直接我々が見ることはない。階層は我々の抽象化の中で、事後的に見出されるものである。いやまあ、種だってそうではないかと言われるかも知れないが、その辺は神学論争になりそうだ。自分が「ツリー派」ではなく「ネットワーク派」で(いちおう)あるのも、そのあたりが原因であろう。ツリーというのは、見事すぎるのだ。
 あとどうしても気になるのは、コンピュータ・サイエンスと系統樹の関係である。たとえばプログラミングのレヴェルでは、ツリー構造の構築とそのトラバースは、ごく基本的なアルゴリズムである(たとえば深さ乃至幅優先探索)。二分木というものも基本的であり、またプログラミング言語の字句解析もツリーを構築する。それとはまたちがうレヴェルでは、データの自動的な分類(多変量解析など)。また、ツリー構造の視覚化。本書で紹介されていた Walrus という三次元可視化ツールによる図像化はアート的な観点から見てもきわめて魅力的で、これは自分レヴェルで使えるものなのか、ちょっと検索してみたい(自分にはレヴェルが高すぎるような感じもするが)。これは、自分のレヴェルでも OpenGL などを使って真似ごとがしたくなるくらいのものである。
 もうひとつ最後に付けくわえると、系統樹思考における東洋と西洋のちがいである。ちがいというか、本書の扱っているのは基本的に西洋であり、あとはせいぜいアラビアであって、インド・中国・日本の例はきわめて乏しい。系統樹思考が普遍的なものであるならばそれはおかしいということになるが、どうなのか。例えば、数学は人類に普遍的な思考法であるが、システマティックに発達したのは西洋においてのみである。例えば日本の和算がいかに高度であっても、それは組織的持続的に発展することはなかった。それだから、和算は近代数学の目から事後的に「発見」されざるを得なかった。系統樹思考にあっても、そのあたりはまだ未解決の問題なのではなかろうか。

系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク

系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク


プログラミング言語系統樹である。ここでも、いかに正確に構築しようとしても、この系統樹の恣意性はまぬがれないだろう。そこがおもしろいわけだが。ちなみに Ruby の誕生は、ここでは 1993年2月24日になっている。
 
Walrus - Graph Visualization Tool
Walrus を発見。Java3D + JDK 上で動くようだ。もちろん Linux でも OK のようである。へー、どんなもんだろうな。ただ、もう10年以上メンテされていないようだが…。こんな風に可視化できるらしい。