甥っ子の勉強を見ることの終わり

日曜日。晴。
プログラミングの再帰呼び出しの夢を見る。わけがわからない(笑)。

記号の解体は記号のシンプルさを齎す。それはともすれば一種の貧しさに見られるであろうが、そのように見る人間は、所詮世界という書物を直接読むことができていない。むしろそちらの方が問題なのである。記号のシンプルさは得て然るべきなのだ。

午前中、甥っ子の勉強を見る。
昼食は甥っ子と博多ラーメン「まっしぐら」にて。
午後もお勉強。この三日間で高校物理全範囲をざっと見直したな。しんどかった。

これまで一年半甥っ子の勉強を見てきたが、今日でおしまい。最初はひどい状態だったけれど、随分頑張って勉強できるようになった。不思議とウチでは素直に勉強していましたな。まあいまでも受験生としては正直言ってアマいといえばそうだけど、誰もが受験勉強に限界まで打ち込まねばならぬということはないよね。というのはこちらの考えがアマいか知ら。いずれにせよ、本番は本人次第で、こちらは祈るくらいしかやることがない。

しかし、こんなにむずかしい勉強をしなくても、誰もがふつうに生きていけるような世の中であってほしいですなあ。皆んな、嫌でも何かで食わないといけないのだよねえ。学校教育というのは国家が国力のためにさせるものだというのを痛感する。そうしないと国家が立ち行かず、国民も食っていけないという構図があるなら、さて、どうしたものかなあ。さても皆んな、何のために生きてんの?とかまあ考えるのはここではやめておこう。

海外「なぜ日本はハードウェアの時代と同じようにソフトウェアに秀でることができない?」 - Qiita
おもしろかった。このことはわたしもずっと気になっていた。わたしはソフトウェア業界のことは何も知らないが、極論すると日本人の作ったソフトウェアには Ruby 以外ほとんど何もないことは知っている。わたしは、Ruby には非常に「日本」「日本人」を感じる。これはわたしが素人だから言えることである。そして、日本人が一般に当の Ruby を特に評価しないことも、ひとつ参考になるような気もする。ま、以上は寝言であるが。
 上のリンク先は Qiita というソフトウェア技術情報のアンテナサイトみたいなものであるが、ここでは現在の「トレンド」技術、外国製の(「舶来の」といってもいい)言語やフレームワークにどうキャッチアップしていくかという話が中心である。オリジナリティが話題を集めることは少ない印象がある。これはまた非常に「日本的」ではあるまいか。出る杭は打たれる。別に意外感はない。かつての日本そのままではないか。これを考えるといまの若い人たちもかつての日本人と同じで、というかそれ以上に、オリジナリティへの志向がないようにも思える。これは別に、特に非難したいわけではない。いったい、我々の世代に何がいえようか?
 なお、わたしは「日本人一般にオリジナリティがない」という意見には与しない。例えば、数学というもっともオリジナリティを必要とする分野で、日本が豊かな人材を多く輩出してきたのは明らかだ。ただ、ソフトウェア産業に関しては、オリジナリティの方向へいかないように見えるのも事実である。

どうでもいいことを書いたが、お風呂でさらにどうでもいいことをつらつら考えた。
 河合隼雄先生は仰った。日本は西洋の上澄み部分をうまく掬いとって成功した。しかし、魂のレヴェルで西洋と対峙しなければならないときが来ていると(あやふやな記憶で書いています)。まさにそうで、和魂洋才という言葉がかつてあったが、日本は明治以降、国家レヴェルで西洋へのキャッチアップを組織し、それなりの成果を挙げたといっていいだろう。産業においてはそれが成功体験となったが、その時代は終わったということである。しかし、やはり若い人たちですら、急には変われないということだ。ソフトウェア産業においても、どこかから成功例をもってきてキャッチアップするというところに固執している。そうだな、それは驚くべきことだが、そうとしかいいようがない。
 「魂のレヴェルで西洋と対峙する」か。日本の種々のガラパゴスぶりを見てもわかるとおり、日本には「ガラパゴス」たるという特異性がある。これは非常に貴重で、いまや世界において絶滅危惧種的だ。いま日本人がやろうとしているのはこれ(「ガラパゴス」たる)を殺し、もっと深いレヴェルで西洋化していくことであるように見える。これは惜しい。わたしの願いは、そのオルタナティブを見つけること、それにほんの少しでも協力していくことであるが…。それをやってきた人、やっている人は、ごくごくほんのわずかであるが、確かに存在しているのであるけれども。

(それにしても、上のリンク先の記事の内容は驚くべきだな。外国のソフトウェア・エンジニアたちがここまで日本のソフトウェア業界の現状を把握・理解しているというのは。わたしの書いたことはほとんどゴミで、この記事を読んだ方がよいね。)

わたしは自分の世代に共感できないし、若い世代にはあまり興味がない。わたしはこれまで何も成し遂げていないし、いまだに自分のことで精一杯な未熟者である。何を、エラソーに他人のことが言える?