祝日(文化の日)。日曜日。晴。
玄侑さんの講演を昨日 YouTube で視聴したのだが、玄侑さん、全然エラソーじゃないよね。ほんとはめっちゃえらい人なんだが、そう見えない。話はゆるゆるで、脱線して、あ、何の話だったかな、とかなるし笑。かしこい人なら、バカにしそう。いや、ありがたいことである。合掌。
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十四番 K.491 で、ピアノはクララ・ハスキル、指揮はイーゴリ・マルケヴィチ、コンセール・ラムルー管弦楽団(NML)。1960年11月の録音。最新のデジタル録音と比べちゃいけないとはわかっているけれど、もう少し音がよかったらなーって思う。まあ、わたしの再生装置もショボいんだが。
■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はカリドル弦楽四重奏団(NML)。2022年の録音。
■リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」 op.20 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、フィルハーモニア管弦楽団(NML)。あー、びっくりしておしっこちびるかと思った。え、これ、フィルハーモニア管? めっちゃフレッシュで、天馬空を行くような颯爽としたドライブ感、いっぺんに目が覚めた。1958年の録音だが、オーケストラがすごすぎて、音質の不満がまったく感じられない、というか、そんな問題じゃない。若きカラヤンがいかに天才だったか、いまさらながらに驚く。いや、文化ってのは時と共に「進歩」していくようなもんじゃないという、当たり前のことがこれくらい痛いほどわかるとは。いま、こんな演奏ができる指揮者など、もちろんひとりも、どこにもいない。
■レスピーギの交響詩「ローマの松」で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、フィルハーモニア管弦楽団(NML)。これ、ほんとにフィルハーモニア管? それに、1951年録音っていうんだから、モノラル録音だと思うんですけど、どうなってるんだ、いったい。この曲自体は全然好きじゃないんだけれど、とにかく唖然とさせられる。
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昼。
飯を食いながら NHK の「うまいッ!」っていう食番組を見ていたのだが、いろいろと違和感があった。福岡県糸島のトマトの話だったのだが、「トマトはいまからが旬なんですよねー」とかいっている。え?
ま、確かにトマトはスーパーに年中あって、値段も変わらないからいつが旬なのかもうわからないかも知れないが、昔の感覚だと旬は夏だよね。まあ、いまは完全にハウス栽培になっているので、そんなことをいっているのだろうが、わたしには違和感がある。冬にトマトとか、どうしても買えない。
それから、ほとんど色んでいないトマトを収穫するのだな。確かにトマトは追熟するので、赤いトマトを収穫したら店頭では崩れてしまうだろうが、それでも、完熟したトマトと追熟したトマトでは味が全然ちがう。追熟したトマトは、よくいえば身が締っていて、堅めである。あの、ハンバーガーとかに入っているあれで、(わたしの感覚だと)味が薄い。完熟してから採ったトマトは、水分が多くて、悪くいうと形が崩れやすいかも知れないが、コクは遥かにこちらの方がある(と思う)。追熟したトマトと完熟したそれとでは、ちがう食べ物と考えた方がよいかも知れない。
40分あまり散歩。クソ田舎を歩いて、平凡極まりない写真を撮る。
ウチの庭。
「トラックさん」と我々が呼んでいた方が孤独死された。飼っていた猫たちは、あたりをうろうろと徘徊している。
いよいよ道路工事が始まる。
クサギの花。
マツバギク。
穭田。「ひつじだ」と読む。何のことかわかるかな?
カルガモが帰ってきた。たくさんいた。
桔梗。
足がなまっているなあ。今年は夏が終わっても全然散歩していない。