こともなし

晴。
クリスタルガラスのように透明な少女と合一化する夢を見る。坂本さんが夢に出てくる。小泉文夫先生のこととか、話しかける。
 

ウチの柿。あとどれくらい持つかわからない老木だが、何とか実をつけている。もっとも、ウチで消費するだけならいまでも充分すぎるくらいには穫れる。庭に富有柿と御所柿の木があり、昔は油壺もあった。
 
昼から米屋。そのあと、岐阜市中心部の老舗肉屋へランプステーキ肉を買いにいったら、水曜休みだった。なので夕食用に、「餃子の王将」へ行って生餃子×3 を買う。
 
図書館から借りてきた、佐々木敦『絶体絶命文芸時評』(2020)を読む。先日100ページくらい読んで、今日は30分くらいで残りを最後まで速読した。この文章がまともに読めないからだが、速読でも充分読めるのであるし、本書は途中で放擲するよりもその方がいいと思ったので。現代の「文学」についての時評やら文学論であるが、文章に強度もなく(わたしには)まったくつまらない、退屈である。最初は「現代文学」がつまらないからだと思ったのだが、でも、これはもしかしたら著者が悪いので、「現代文学」はさすがにここまで絶望的に貧しいものではないような気もしている(しらんけど)。なお、わたしは著者に何の含むところもない。webちくまでの坂本龍一評伝の連載は、結構楽しみにして読んでいる。

 
夜。
グノーシス主義については中沢さんが随分と昔から書いていて、気になってはいたのでハンス・ヨナスの大著も購入して読んだのだが、いまひとつピンときていなかったのがいまだとよくわかる。「偽りの神」と智慧グノーシス)。そこにどんな、いってみれば深刻な背景があったのか、よくわかっていなかったわけだが、ハッとわかってみれば、何のことはなかった。まさにいまのわたしは、グノーシス主義者そのものである。グノーシス主義者は、誤解を恐れずにいえば、悲しい人間だ。いや、そのような悲しみを感じるのは、まだまだ未熟だといえるのだが。