遺伝子目的論

曇。
 
スーパー。うどんに添える天ぷらがまたなくて、マックスバリュへ寄る。
 
なーんかいろいろ落ち込むな。まー、落ち込むときは落ち込んだ方がいいんだ。限界まで落ち込めば解体する。
我々はつまらんことで簡単に落ち込むし、つまらんことで簡単に元気が出る。まー、基本的に落ち込むことの方が多いんだけどな笑。生きることは苦痛だ、って当たり前だな。だから何って感じ。
反出生主義とかも合理的には正しいような気もするが、知性の匂いがして、結局どうでもいいんだよね。インテリ、つーか、論破、つーか。オレはバカだからさー。ただつらいだけで、それ以上はどーでもいい。
 

 
少し昼寝。
 
図書館。昨日名前を出したスタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか』を借りてくる。棚を見ていると、どうしてこの本がこの図書館に入ったのかは謎に思える。あと、山口尚の『幸福と人生の意味の哲学』が目に入って借りる。山口の note 連載は目を通している。
 
帰ってきて書架を見たら、ピンカーの『心の仕組み』、しっかりあるじゃん。かつてのわたしの感覚だと、ピンカーは(科学的に)いかがわしい感じがしていたのだが(だから積ん読のままで読まなかった)、いまでは吉川浩満など、必読書みたいな雰囲気で言及していて草。
 
 
スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか』を読み始める。冒頭から問題含み。ドーキンスは「遺伝子は我々人間のためにある」という目的論を否定し、「我々は遺伝子の自己複製のためにある」「我々は遺伝子の保持のための乗り物(あるいは「ロボット」)に過ぎない」に転換した。しかしそれは、「遺伝子目的論」とでもいうべき、遺伝子を主体化した、転倒した別の新たな目的論の導入に他ならない。これはまったく科学的でないだろう。
 第二章まで読む。
 
夕方、かかりつけ医のところでコロナワクチン接種の申込みをする。五回目。
車でサンソン・フランソワの弾く「クープランの墓」を聴く。とりわけ玉を転がすような弱音がすばらしく、思わず聴き惚れる。天才・フランソワ。
 
 
夜。
まよチキ!」(2011)第8話まで観る。どこかで見たような設定の寄せ集めだけれど、なかなかおもしろい。展開も見え見えだが、引きが上手いのでつい観てしまうな。ヒロインのスバルを始め、女の子たちのキャラデザがかわいい。スバルが何か「インフィニット・ストラトス」のシャルを思い出させたり。こういう下らないアニメは好きだ。