合理性は感情で基礎づけるしかない

晴。
昨晩は中沢さんを読んで寝る。
 
サッカーW杯、それほど興味はないが、ドイツ、スペインに勝ってグループリーグ一位通過とは、さすがに驚いた。へーって感じ。ゴールシーンの動画を見ただけだが、堂安の名前は覚えました笑。
 
 
第617回:『虚ろな革命家たち 連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』〜あの事件がこの国に残した呪縛。の巻(雨宮処凛) | マガジン9

一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも、同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに、その指導者のいいなりになるよう仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効ですよ。

ナチス・ドイツの幹部ヘルマン・ゲーリングの戦後の言葉だそうである。なるほど、このやり方は国家が存在する限り極めて有効だろう。現在のネットでもよく見かける。
 

 
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。『武満徹著作集5』の続きを読む。武満さんの文章にはいつも(わたしのように才能のない人間は何だろう)という卑小な思いが湧いてくるのと、一方で強く鼓舞されるところがあるのだが、何者でもないわたしがいまさら鼓舞されたって…ということはどうしてもある。まあしかし、それでも元気が出るならよいことだ。この世に何も残さず、つまり「没蹤跡」(もっしょうせき、2022.8.3)というのは、人の基本的な生き方であろうと思うし、いや、そんなことをグダグダいっていること自体が執着ではないかとも思う。ま、この問題からはなかなか離れられないことだな、未熟者だからね。もう老年も遠くないのに、名誉心、名利の心、承認欲求というものを解体し尽くすのは、愚かなわたしには難事である。

 
肉屋。特別売出しで、いい肉が安かった。
いちょう通りの黄色く色づいたいちょうが、夕日に照らされてとても美しく、思わず声が出てしまった。
 
スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか』の続きを読む。合理性合理性って、そら確かに、合理性は大事なのだが。しかし例えば、完全に合理的に思考した答えが、人類は滅んだ方がよい、という結果だったらどうすんのかね。いや、冗談ですけれども。そもそも、感情に惑わされない、完全に合理的な人間は、恋愛とかしない、できないよね。いや、冗談ですけれども。合理性も、ほどほどに。
 マジメにいうと、究極的な合理性というのはあり得ない。究極的に合理的な判断には絶対的な根拠が必要だが、そのような根拠は存在しないから。というか、そんな根拠は、「絶対唯一神」でも持ち出すしかない。逆に、そのような「絶対唯一神」を信じる人になら、究極的な合理性もあり得るだろう。ってのは初歩的な話だが。
 もうひとつ。合理性への信仰はまさに「信仰」であって、合理的なものではない。これも、初歩的な話。「絶対唯一神」を信じない限り、合理性の要求を合理的に基礎づけることはできないのだ。って、合理性はアカンっていってるわけじゃないよ。合理性は大事だけれど、あくまでもほどほどに。合理性は感情で基礎づけるしかないのだ。
 
 
夜。
NML で音楽を聴く。■マーラー交響曲第九番で、指揮はベルナルト・ハイティンクバイエルン放送交響楽団NML)。2011年12月の録音。ハイティンクは当時80歳を超えているが、たるみのようなものは一切感じられない。そして、誇張も一切ない。この曲の巨大さと異常さを、ただそのままに再現している。なのだけれど、第三楽章の途中から終楽章を終えるまで、とんでもないことになっているな。ひさしぶりに鳥肌が立つ感覚だった。しかし、ヤンソンスが逝き、ハイティンクが逝き、小澤征爾はほとんど指揮ができなくなって、わたしの指揮者たちがいなくなってしまったな。何ともさみしいことである。