スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』

昧爽、五時前起床。曇。

ネットを見たりしてぼーっとする。いつもより一時間早く朝食を摂る。

頭をからっぽにしないと、雑念とオーバーラップして、世界をうまく感受できない。また、うまく考えることもできない。まずは、頭をからっぽに。

少しうとうとしていたら、布団の中で排便する、ものすごくリアルな夢を見た。ハッと目覚めて、思わず確認してしまった。
 夢。自転車に乗っていて、コンクリートの短いトンネル(?)のような中に入る。と、前を R2-D2 のようなロボットがゆっくり先導していて、後を付いていく。地面には、工事中のような四角い深くて大きな穴が開いたり、小石が散乱したりしている。と、前は塞がれ、背の高さくらいまで土砂が溜まっていて、いつの間にかロボットはいなくなっている。仕方がないので戻って別の方から出ようと向きを変えて、自転車を引いて歩くが、急に目の前がブラックアウトして、歩くのもままならない。穴に落ちないように慎重に歩みながら、何とか目が見えるようにならないかと焦る。と、これは夢だと思い、目覚めようとするが、体が硬直して動かない。


何か画像読み込み関係で、iPad miniSafari がバグっている感じ。特定サーバ(はてなフォトライフとか)から読み込む画像が、一部うまく表示されない。

虹色の光を放って物質性が崩壊していく。

昼から珈琲工房ひぐち北一色店。『戦争は女の顔をしていない』の続き。
帰りに肉屋へ寄る。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』ようやく読了。三浦みどり訳。第二次世界大戦で、ソ連では100万人もの女性たちが戦場へ行った。そういった女性たちの戦場体験を、インタビューによって記した本。これまで読んだ中でももっともつらい書のひとつである。感想は過去のエントリたちに撒き散らしてきたので、ここには書かない。
 澤地久枝氏による文庫解説は、わたしの読後感とはちがうなと思った。わたしは、本書を非常にナイーブに読んだ。こみ上げてくるものを抑えて読むしかなかった。文庫版で500ページ近い大部の書物であるが、その凄惨な記述に最後まで慣れることがなかった。戦争体験というのは、兵士ひとりひとりでちがうものだと感じる。もしかしたら、本書はもっと冷徹に読まれねばならぬのかも知れないし、知らないが、女性ならそういう読み方ができるのかもとは思う。
 外国語ができないので原文と対比したわけではないが、翻訳はとてもすぐれていると思う。訳者は既に死去しており、民間療法に凝って癌を手遅れにしたらしい。米原万里さんもそうだった筈で、よりによって、こうした優れた人たちがと思う。いや、自分だったらどうするか、わからないが。

戦争本にあまりにもウソが多いことは知っている。もちろんわたしは戦争を、戦場を知らないが、本書がリアルであることを疑わない。「戦争は女の顔をしていない」ゆえにである。

ジョブ型雇用は大学教育を変えるか@『文部科学 教育通信 』No.527(再掲): hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
めっちゃわかりやすいので一読をお勧め。ただ、「日本社会は量子力学的にできています。原子論的ではなくて、量子力学的にできている」だけ、濱口先生らしくなく、意味不明。原子論は量子力学で記述された典型的な理論だから。それ以外は、日本の袋小路(のひとつ)を的確に剔抉しておられる。これを知らない人は、目からウロコ体験になると思いますよ。