こともなし

深夜起床。

昨日から安藤礼二の『大拙』を読んでいるが、つまらなすぎて挫折。というか、頭のよくない自分にはむずかしすぎるのですな。青空を見たことのない人間が、膨大な文献と鋭い知性をもって「青空の本質」を理解しようとしているのが本書である。こういうことも、まあ必要であろう、というかこういうものしかないのだな。まったく、自分は頭が悪い。

本書挫折後、残りをテキトーに繰っていてつくづく仏教は終ったと思った。もちろんこれは、愚かなわたしによる暴言であろう。そう、あるいは仏教は死んだ。仏教そのものは、釈迦から何も変っていない筈であるのに。それがあっての、「仏教哲学」である筈なのに。秀才たちには、困ったものだな。わたしは頭が悪すぎて何にもわからない。

例えば「霊性」と連呼して、本書のどこに「霊性」があるのか。パズルを解いているだけではないか。しかし、玉ねぎの皮をどんどん剥いていったって、芯には何もないのである。それがあるいは仏教といってもよいであろう。

けれども、わたしのような未熟者が何をいうかという感じ。恥ずかしい。

鈴木大拙のある本を図書館で借りてきたのであるが、以前借りて読んだ本であることに気づいた。まあそれはよいのでもう一度読み返すのにちょうどよいが、そこで今度は解説が苧坂光龍という人であることに気づいた。この解説がじつに立派なので検索してみたが、在家禅の人であられたという以外はよくわからなかった。それでついでにネットには(個人的なものも含め)禅サイトがいろいろとあることに気づいたが、ちょっと見てみると、自分などのいうべきことではないが何ともヒドいのが多い。世の中にはこうも「悟った」人が多いのかと暗澹とさせられた。ホント、地獄に落ちるよ、こういうことをやっていると。

犬も歩けば棒に当たるというが、こうなるとわたしのごとき未熟者はおちおち歩いてもいられない。下らぬ棒で殴り殺されてしまいそうである。


NML で音楽を聴く。■バッハのソナタ ニ長調 BWV963 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三番 op.2-3 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。

雨。
コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。産業文化センターにて期日前投票。図書館。スーパー。

暗い部屋で、強く降る雨の音を聞きながら三時間ほどごろごろする。雷鳴。


かつてのこのブログの話を老母としていて、何だかもう何もかも意味がないのだなあといまつくづく思っている。まあ生きていて行けるだけのところまでは行ってみようとは思っているが、そしてようやく出発点にやってきたような気が最近しているが、日暮れて道遠しであるし、自分の胸のうちに留めておくだけでいいような気もする。ブログに書く意味がなくなったら、やめるだろうな。