吉本隆明『漱石の巨きな旅』

休日(建国記念の日)。曇。
精神空疎。だらだらネットを見ていると死んでいるも同然。もちろんわたくしのこと。

マーラーの六番だとか「大地の歌」、ベートーヴェンエロイカ交響曲、「大公」トリオなど聴きたいのであるが、どれも長いのだよな。40分~1時間というのは、なかなか気楽に聴けない。

NML で音楽を聴く。■ムソルグスキー組曲展覧会の絵」で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。ふつうのピアニスト(?)だったらあまり聴く気になれない曲であるが、野平さんさすがだな。何故にこれほどのピアニストが聴かれないかというのは挑戦しがいのある謎であるが、なかなかまだ自分にはよくわからない。野平一郎は確かに天才的なのであるが、それは日本人だからというそれなのか? 普遍性はなく、わたしのような者だけがすげーって言っているのみなのか? とにかくその射程は圧倒的であり、開高健風にいうと「しっぽまであんこが詰まっている」のであるが、これほど明らかな充実がわからないということがあるのか? うーんという感じである。とりあえず、レコード会社はどんどん野平さんに録音させるべきである。まあ、わかっている人はわかっているから、CD もこれほどたくさん出ているのでしょうけれど。それなりに売れているなら、聴かれていないということはないのだろうか。


図書館から借りてきた、吉本隆明漱石の巨きな旅』読了。本書で取り上げられている漱石の旅とは、漱石三十代半ばのときの二年間のイギリス留学と、四十代前半のときの満州朝鮮半島の旅のことである。これらの旅をまとめて扱った評論はたぶんあまりないであろうから、本書は吉本さんの書き下ろしかと思って読んでいたのだが、じつは注文原稿であった。本書が出版されたのは吉本さんが八十前後のときであるが、執筆されたのはその七年ほど前のことのようである(初出は仏語訳)。中身についてはわたしのごときがいうことはない。どちらの旅が興味深いかといえば、それは当然イギリス留学の方が選ばれるであろう。自分はこれまで漱石のイギリス留学についてこれほど詳しい記述と論評を読んだことがなかったので、とても興味深く読んだ。そこでは漱石狂せりといわれたほど漱石が追い詰められ、また必死に読み、考え抜いた上での到達地点を、吉本さんは静かにしかしはっきりと高く評価している。漱石はそれを、やはり自分のためにやったのではないというべきであろう。自分のためなら、決してそこまではしなかったにちがいない。こういう漱石(に限らないが)の「苦闘」をヘタレであるという斎藤美奈子氏のような批評家もいるが(斎藤氏に対する誤読でないことを祈ろう、とても原文に当たる気が起きないので)、まあ好きにいえばよいのだけれど、かなしいことである。まあしかし、いたずらに感傷に耽るのはやめよう。感傷というと、気楽なはずの「満韓ところどころ」の文章を読んでいてすら、わたしはかなしくなってくるのであるが、じつにわたしもくだらぬヘタレにすぎまい。
 吉本さんのことはいまでもよく思う。結局、自分は生き延びるために吉本さんを読んでいるのだと思う。吉本さんの文章はどれを読んでもたっぷりと樹液をたたえている、そうしたことはいわれることがないが、事実である。しかし、自分としても最初からそういう風に読んでいたのではなくて、学生の頃(吉本さんは老いたりとはいえまだまだアグレッシブだった)などは、よくわかっていなかった。柄谷、蓮實、浅田は「知の三バカ」だといい、そんなことはいわなきゃいいのにと思っていたが、読んだものはわからないなりにおもしろかったので、読み続けてきた。吉本さんのよき理解者となった中沢さんのちょっとした言葉たちから、少しずつ目が開かれていったように思う。吉本さんは資質としては天才的なところがある人だが、それとふつうの生活人が一緒になっている人ということがわかってくるには、だいぶ時間がかかったが。しかし、もはや吉本さんが読まれないというのもわかるのだ。いまは、自分で考える人に冷たい世の中であるから。というか、自分で考えるということをかんちがいしている人がほとんどであろう。ラディカルな思考は、一旦は必ず自分の足場まで掘り崩してしまい、必死でそこを抜けない限りは誕生することがない。いまの思考には、ラディカルなものなどほとんどどこにもない。ただの遊び、かしこい人たちが安全地帯でパズルを解いているだけだ。

漱石の巨きな旅

漱石の巨きな旅