ケイティ・ハフナー『グレン・グールドのピアノ』 / フローベール『三つの物語』

日曜日。曇。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ四重奏曲第一番 K.478 で、ピアノはデジュー・ラーンキ、他(NMLCD)。いい曲だな。■ベートーヴェンの創作主題による六つの変奏曲ニ長調 op.76、ポロネーズ ハ長調 op.89 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第三番 op.73 で、演奏はボロディン四重奏団(NMLCD)。この曲はショスタコーヴィチの傑作と信じて疑わない。ベートーヴェンでもこんな音楽は書かなかった、とでもいうか。聴いたことのない方には是非お勧めする。■バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 BWV1007 で、チェロは毛利伯郎(NML)。骨太でなかなかいい。

Cello Suite.1, 2, 3: 毛利伯郎

Cello Suite.1, 2, 3: 毛利伯郎

■石川榮作の「幻想曲」で、フルートは北川森央、ピアノは碓井俊樹(NML)。
邦人フルート作品集

邦人フルート作品集

シェーンベルクの「グレの歌」で、ソプラノはジェシー・ノーマン、指揮は小澤征爾、タングルウッド祝祭合唱団、ボストン交響楽団NML)。二〇代後半のシェーンベルクの大作で、見事な後期ロマン派の書法で書かれており、色彩感豊かなオーケストレーションはまるでマーラーであるが、じつは「大地の歌」よりこちらの方が早いらしい。この演奏では総計100分を超えており、さすがに途中で休憩を入れた。充実した音楽であり、しかもシェーンベルクにしては「保守的」で聴きやすい。でも超広大な領域なので、実際に聴くのは大変です。

Schoenberg: Gurrelieder

Schoenberg: Gurrelieder

  • アーティスト: Jessye Norman & Seiji Ozawa & Tanglewood Festival Chorus & James McCracken & Tatiana Troyanos & Boston Symphony Orchestra
  • 出版社/メーカー: Universal Music LLC
  • 発売日: 2014/01/07
  • メディア: MP3 ダウンロード
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カルコス。いつもの「群像」の中沢さんの連載の立ち読み。今月も盛り沢山だ。残念なことにわたしの理解力の限界を超えた部分が多すぎるので困るが、しかし何という連載であるか。この「考える」ということが嘘んこになってしまった時代に、まったき異物を突きつけている。この連載がいまの都会の「学者」たちの注意をどれほど引き付けているか知らないが、その意義に気づいている者はほとんどおるまい。自分はそれを確信している。まさに世紀を超えて読まれるべき論考が、このいま現在においてひっそりと生産されているのだ。これはどれほど頭がよくても読めるとは限らないものだが、また一方で誰が読んでもよい、誰にも関係したものであるということもできる。早く単行本で読みたいものだ。
 その他の棚を見ていると気が滅入るような部分もあるが、まあしかしそんなにエラそうになることもないだろう。いつもどおり、ちくま学芸文庫の新刊を入手して帰る。そうそう、フローベールのトロワ・コントの新訳も買いました。昔、岩波文庫で読んだなあ。先月出たリラダンは面倒なことがわかっているのでつい二の足を踏んで買わなかった。齋藤磯雄先生の訳で読むのはしんどくて大変だったっけ。


図書館から借りてきた、ケイティ・ハフナー『グレン・グールドのピアノ』読了。鈴木圭介訳。本書はグールド本人だけでなく、グールドの愛機・スタインウェイ CD318 と、ピアノ調律師ヴァーン・エドクィストの物語だといえよう。なかなかドラマティックな話だともいえる。CD318 は長年グールドの録音のほとんどに使われたピアノであるが、グールドが死ぬ何年か前に輸送中に落下し(「犯人」は特定されていない)、ほぼ修復不能なダメージを負ってしまう。その時期スタインウェイのコンサート・グランドは質が低下し(と本書は述べている)、グールドは最晩年の録音、特に二度目に録音された「ゴルトベルク変奏曲」にヤマハを使うことになる。まあそのことは自分は既に知っていたが、調律師のエドクィストを掘り起こしてきたのは本書の功績かも知れない。いずれにせよ、なかなかおもしろい本だった。正直、自分はいまではさほどグールドに入れ揚げていないのだが、彼が正真正銘の天才であったことはもちろんだし、彼の録音は音楽というものが聴き続けられるかぎり聴かれることになることを確信している。彼はクラシック音楽を演奏するということに新しい意味を付け加えた、革命家であった。

グレン・グールドのピアノ

グレン・グールドのピアノ

 
そういや数日前に『くもの巣の小道』をまだ読んでいないと書いたが、本棚の読了本のところにちゃんとあった(笑)。わたくしだなあ。でも『まっぷたつの子爵』は読んでいない筈。だと思うけど。

自分の Twitter の TL はポジティヴで楽しくてよい情報が手に入って役に立つといっている人がまちがっているとはまったく思わないが、いささか現実逃避されているのも事実ではないか。わたしの TL はすさみ切っていて見ると死にたくなるが、わたしの TL が現実の一部、それも現在の「ふつう」をかなり映していることはまちがいないと思う。
 僕は思うのだけれどねえ、つまるところオレが事実だ、カスは死ねと言いたいのはわかるが、誰も当の自分がカスだとは滅多に思わないのが事実であり、問題なのだ。はっきりいうが、たぶん君はカスだし、わたしもそうだ。そういうものなのである。人間は。
 某自民党大物議員(経産大臣までやった)が「日本はもうおわりだ。日本がどうなろうが私の知ったことではない」といい放つや某TV局を名誉毀損で訴え、それが裁判で認められたそうであるが、確かに某議員のその発言の前半部分はまったく正しいとわたしも考えている。すごい時代になったものだ。

シェーンベルク組曲 op.29 で、指揮はデイヴィッド・アサートン 、ロンドン・シンフォニエッタNML)。アルコールが入っているとシェーンベルクはきついな(笑)。

Suite / Wind Quintet

Suite / Wind Quintet

プーランクのフルート・ソナタで、フルートは北川森央、ピアノは松尾広(NML)。この曲はフルートが主役の室内楽曲の中ではもっともポピュラーなそれのひとつであり、自分も大好き。これはふつうによい演奏。
プーランク フルートソナタ

プーランク フルートソナタ

サン=サーンスのロマンス変ニ長調 op.37(編曲)で、フルートは北川森央、ピアノは松尾広(NML)。■リストの「スペイン狂詩曲(スペインのフォリアとホタ・アラゴネーサ)」、スクリャービンの「二つの詩曲」op.32、ラフマニノフの「12の歌 Op. 21 - 第7曲 ここはすばらしい場所(ピアノ編)」で、ピアノは阪田知樹(NMLCD)。すごい才能を感じる。あとはもう一段の深みを期待したい。世界的名ピアニストになれる可能性は充分にあると思う。


フローベール『三つの物語』読了。新訳。冒頭の「素朴なひと」の題名は、かつて確か「純な心」の名前で読んだのではないかと思ったら、訳者解説に言及があった。「聖ジュリアン伝」は覚えているような気もするが、どうだっけという感じ。「ヘロディアス」は読み始めてもすぐには何の話かわかりにくように書いてあると訳者は述べているが、そうかなあ。特徴的な名前でああそうかとすぐわかるし、そもそもサロメの話は多くの人が知っているでしょう。ワイルドの有名な戯曲があるしな。さて、三篇からどれかを選ぶとすれば、自分は断然「素朴なひと」ですね。悲しいお話。主人公のような人は後世に何も残さず、死んだらたちまち生きていたことすら忘れられてしまうのだが、庶民の人生ってのはそれがふつうなのだ。フローベールはそのような「純な心」をもった無数の無名人たちを典型的なひとりの姿で描き、彼ら彼女らの生を顕彰してやったのかも知れない。しかし、それがどうしたというのも、ひとつの有力な考え方ではあろうが。人生なんてムダといえばムダなので、その方がすっきりしているという気もする。フローベールは近代小説の濫觴である歴史上何人という偉大な文学者であるが、自分が文学が根底では苦手なのもそこにある、ような気もする。

三つの物語 (光文社古典新訳文庫)

三つの物語 (光文社古典新訳文庫)

まあしかし、そんな面倒なことをいわないで、おもしろいトロワ・コントをただ読んでいればよいのだ。ちがうか?

そうはいっても、人生ムダという小説もじつはたくさんあるわけで、ではそういう小説が好きかといえば全然そうでもない。いちいちそんな当たり前のことをいうなよ、って気がする。「素朴なひと」の主人公だって、そもそもそんな考えが頭に浮かんだことは決してないにちがいない。エラそうなヤツだからそういうひねくれた考えをいじくりまわすのである。事実として人生というものがムダであっても、敬虔に楽しく生きるのがいいに決まっているのだ。