佐々木閑『日々是修行』

振替休日。晴。
もうちょっと頭を休めるかな。だいぶよくなってきた。

昨日のエントリにゆたさんが書いて下すったコメントのリプライに、「若い人が本をまったく読まない」と書いたけれど、まあ読んでいる人もいるよね。でも、それはホントに極少数者で、で、その他がほぼ読書量 0 ということなのだろうと思う。けれども、自分は一応一流大学みたいなところへいっていたのですけれど、その頃からそこでも誰も読みなどしていなかったですよ。知人を見ていると、文学部とかでもそうだった。ってそれで大学で何をするのだろうね(笑)。

ホント、自分はバブル世代でクソだった。いま、日本を壊しているのは我々の世代なのではないかと妄想して、さみしいというか申し訳ないというか、そんな気持ちになる。

で、若い人たちは情弱の老害を糾弾すると。いまやネットでよく見る光景だなあ。まあ、若い人たちであろうが老害であろうが、どちらでも大して変わりはないと自分は思っている。

最近 Ruby で Thread を使う機会があって、そのせいもあって並列・並行処理にちょっと興味があるのだが、この並列・並行処理というのは非常にむずかしい。Ruby ではいまのところ fork, Thread, Fiber あたりがそれになるわけだが、自分はまだなかなかうまく使いこなせないのである。thread-safe に書くとか、同期、排他制御などが非常にむずかしい。ヘタにやると、余計に遅くなってしまう。最近では CPU のコア数が増えてきて、並列処理が大変重要になってきた。Ruby はそのあたりがあまり得意でないので、笹田さんなどが Ruby の並列処理である Guild を開発している。ちなみに Guild は完成がかなり近くなっているようで、リリースがとても楽しみだ。新しい言語は並列処理のことをよく考えてあるものが多くて、Go やら Elixir が注目されている。
 一般的にオブジェクト指向プログラミングは並列・並行処理が苦手だとされていて、それはオブジェクトが一般に mutable であるからである。むしろ、関数型プログラミングが並列・並行処理に向くとされていて、それはそうかも知れない。Elixir は関数型言語である。Ruby はいわゆる「純粋オブジェクト指向言語」で、OOP がとっても得意であるが、関数型プログラミングのような真似ができないわけではない。というか、かなり関数型っぽいところもある。Guild でそのあたりどうなるか、楽しみである。


昼からひさしぶりに県営プール。日記を検索してみると前に泳いだのが3月8日というから、(Ruby で)計算してみるとちょうど 200日ぶりということになるらしい。泳いでみたら 30分泳いだだけで結構しんどかった。でも、やはり体は多少は動かさないとダメだ。面倒なことをやらないといけないこともあり、またしばらく通おうと思う。

佐々木閑『日々是修行』読了。著者の名前は最近よく見かける。仏教研究者で、敢ていえば「釈迦原理主義者」のような人だ。もっともこれは冗談である。さて、先に結論から言っておくと、本書はダメな本である。というか、著者は仏教の本質がわかっていないというのが事実だ。しかし、これはどうしようもないバカであるわたくしがそう主張するにすぎない。そしてその主張の根拠もここで書かないという、まったくわたくしは卑怯な人間である。著者がダメであるのはわたしには明らかであるが、他人がそれをどう考えようがどうでもよい。
 さて、著者は「仏教とはなにか」という問いには答えられないという(p.9)。様々な仏教があって、仏教は「異様に混乱した宗教」なのだという(p.10)。しかしまた、仏教の核心があって、それは「修行」だともいう(p.18)。ちょっとこのあたりは著者も混乱していると思われるが、まあよい。確かに仏教において修行は終わることがない。それゆえに著者のいうことは別におかしいことはないが、正確な言い方をすると、「修行」は仏教の十分条件ではない、必要条件である。なぜなら、どのような宗教にも「修行」は存在するから。だから、著者が仏教を「混乱した宗教」というのは、その十分条件にあたるものがないという意味であろう。それなら意味は通る。ところが残念ながら、仏教には十分条件が存在しているのである。そしてそれを言葉でいうことはできない。という、わたしは愚かな非合理主義者であり、糾弾すべき蒙昧主義者である。まことに下らない人間だ。
 しかし、仏教について誤った本を書くというのはどうなのか。確かにそれは罪深いことであり、他人を惑わすことであるが、じつにわれわれはみな罪深いことにかわりはない。著者は、わたしなどよりよっぽど優れた人間ではないか。少なくとも、わたしが著者を非難することはできない。それは、天に唾する行為であるから。

日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)

日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)

 

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのセレナード第十二番 K.388 で、演奏はヨーロッパ室内管弦楽団ウィンド・ソロイスツ(NML)。好きな曲。この曲にはモーツァルト自身が弦楽五重奏のために編曲した版(K.406)もあるが、自分はこの管楽合奏版の方が断然好きである。また、モーツァルト短調の曲でもある。モーツァルトには短調の曲は長調に比べ圧倒的に少ないけれど、デモーニッシュで印象的なそれが多い。例えばピアノ協奏曲第二十番、第二十四番、ピアノ・ソナタ第八番、弦楽四重奏曲第十五番、大ミサ ハ短調などのように。この曲は名前こそ「セレナード」であるが、本格的な室内楽で、聴き応えは充分。演奏もよいね。

Mozart: Chamber Works

Mozart: Chamber Works

シューマンの「幻想小曲集」op.12 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■アルベニスの「イベリア」第二巻で、ピアノはアリシア・デ・ラローチャNMLCD)。