松長有慶『高野山』

晴。
昧爽起床。

松長有慶『高野山』読了。本書を読んでみると、真言宗の歴史はあまり褒められたものでもないという感じがする。それがわかるほどに、本書は正直だ。高野山も様々に変転してきたが、結局いまの姿を残しているのは、場所のよさとやはり弘法大師の存在であろう。真言宗天台宗に比べまったくといってよいほど人材を輩出していないが、その激しい内部抗争の歴史を概観してみると、それも当然のことと思われる。高野山は自分も一度訪れたことがあり、期待していたほどではなかったが、それでも聖地という雰囲気は感じ取られた。弘法大師がその後の真言宗の歴史を知ったら、どのように思われることであろうか。いずれにせよ、空海自体は自分ももっと勉強したいし、これからも参照し続けられることであろう。真言宗の宝は空海ということになりそうである。

高野山 (岩波新書)

高野山 (岩波新書)


メンデルスゾーンのピアノ・トリオ第一番 op.49 で、ピアノはラン・ラン、ヴァイオリンは Andreas Röhn、チェロはゼバスティアン・クリンガー。


ブラームス交響曲第一番 op.68 で、指揮はヴィルヘルム・フルトヴェングラー。いまではこの曲はロマン派の作曲家ブラームスという発想で演奏されることが多いと思うが、これほどベートーヴェンを意識した演奏をされると、ブラームスについて考えさせられずにはいない。もちろんブラームスは、ベートーヴェンを意識するあまり自分は交響曲は書かないとまで宣言したほどだった。またこの曲の終楽章、あの有名な旋律は、ブラームスが「バカでもわかる」といったとおり、あまりにもベートーヴェンの「歓喜の歌」の主題にそっくりである。うーんといった感じ。


もう半分くらい収穫した。いまいちばん採れるときだと思う。自分では大げさだが宝石のようかと思われる。完熟してから採っているので、あまいですよ。


暑くなると出不精になるのでいけない。ツバメや色んなトンボが舞っていた。いつまでこのような世界が続くものやら。
犬を散歩させている男性にあいさつされました。あいさつって大事ですね。ついでに黒い猫も見ました。にゃおって話しかけたけれど無視されました。

古関彰一『日本国憲法の誕生』を読み始めたらおもしろくてやめられない。499ページにもなる分厚い文庫本で、バリバリの学問的研究書であるが、ぐんぐん読める。まだ半分も読んでいないのだけれど、きわめて印象的なところがあったので書いておく。いまでも日本国憲法は「押し付けられた」ものかどうか、議論は喧しいけれど、本書を読んでわかったのは、それどころではないという話である。
 1946年2月13日、GHQ から日本側に、GHQ憲法草案が渡される。日本側は松本案への回答が示されるものとばかり思っていたので、GHQ 側の発言に衝撃を受ける。そして GHQ 側は、これは押し付けではないが、天皇を救う唯一の方法であると示唆する。その会見の様子は GHQ 側の資料と日本側の資料においてほぼ一致していて、問題点はほとんどない。その日から日本側は白洲次郎などによって抵抗を試みるが、自分の印象では、完全に GHQ 側の方が上手であった。特に、松本大臣の道化ぶりは、恥ずかしさを通り越して失笑ものである。そして日本側は、ついに2月22日に閣議を開いて受け入れを決めるのであるが、本書によれば、閣僚たちの間で GHQ 案の中身を知っていたのは、衝撃(笑劇?)的なことに、幣原首相、吉田外相、松本国務相の三人だけであった可能性がきわめて高い。GHQ 側は前もって白洲に余分の12部の原文の写しを渡しているのであるが、これは参照されておらず、既に配布より一週間あまりが経っているにもかかわらず、日本語訳も一章と二章しかできていなかったというのだ。日本側は、ほぼ何の憲法論議もなさずにGHQ 案を受け入れる決定をなしたのである。
 本書はこう書いている。

 これは八月一五日につづく第二の敗戦であった。それは武力による敗戦に続く、政治理念、歴史認識の敗北であり、憲法思想の決定的敗北を意味した。

自分はここを読んで、瞑目せざるを得ない。これが日本なのだ。

なお、上の記述は本書の記述を自分が勝手に要約したものである。文中の価値判断は、引用文以外は自分のものである。詳細は本書自体に拠られたい。