石牟礼道子『祖さまの草の邑』/『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』

晴。暖かい。
音楽を聴く。■ショパンポロネーズ第一番op.26-1、第二番op.26-2、第五番op.44(ポリーニ1975)。ポリーニを聴いていると、「何て鮮烈な」と思う。自分はまだまだだなと痛感させられる。

カルコス。
図書館から借りてきた、石牟礼道子『祖さまの草の邑』読了。詩集。宮沢賢治の土俗性を思い出させる。深くて遠い。

祖さまの草の邑

祖さまの草の邑

ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』読了。講義の中でいやに鋭い質問を沢山している、チューリングという学生がいるなあと思ったら、あのアラン・チューリングだったのか。それはともかく、ウィトゲンシュタインは語の発せられるコンテキストに、病的なまでに鋭い哲学者だ。様々な命題が、様々なコンテキストの中で解釈されている。ウィトゲンシュタインの考えでは、数学の命題の真偽ですら、その命題がいかなるコンテキストで述べられているかに完全に拠っていると云うことだろう。逆に云えば、どのような命題であれ、コンテキストを無視してはその真偽は語れないと云うことである。それはそのとおりだな。問題は、何故そんなことを延々と追求せねばならないかということである。そこが、西欧語の世界なのだろう。(AM2:53)
ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇 ケンブリッジ 1939年 (講談社学術文庫)

ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇 ケンブリッジ 1939年 (講談社学術文庫)