渡辺守章訳『マラルメ詩集』/ポリーニのベートーヴェン・ソナタ全集完結

日曜日。晴。
音楽を聴く。■ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ ソナタ ホ長調HWV373、ト長調HWV358、アンダンテHWV412、アレグロHWV408(マンゼ、エガー、参照)。よい。
モスバーガーのドライブスルーで昼食。ソーセージフォカッチャ+ロースカツバーガー+ポテトS。
久しぶりにカルコス。9冊買って11006円。
渡辺守章訳『マラルメ詩集』読了。これは格好いい書物だ。岩波文庫マラルメは、名高い鈴木信太郎訳が既に入っているが、双方とも独立した価値をもつであろう。というか、本来なら鈴木信太郎訳と本訳を比較せねばならないのだろうが、もちろん自分にはそれは不可能である。渡辺訳の方が口語に近いとは云えるだろうが、こちらもとても格調の高い訳であることに間違いはないし、何と言ってもその強度が圧倒的に高い。正直言って、自分の射程を超えている。とにかく感嘆しつつ活字を追っただけの読書になったが、仕方のないことだった。もっとマラルメの世界に耽溺できる能力が欲しいものである。まずは、鈴木信太郎訳を再読してみることだろうな。
 ちなみに、本書は洵に岩波文庫らしく、注の量が膨大で、細かい活字で本文以上の頁を占めている。じつに贅沢なものだ。さすがは岩波文庫と云わせて下さい。


ポリーニの新譜を聴く。曲はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十六番、第十七番、第十八番、第十八番、第十九番で、いわゆる「テンペスト」(第十七番)は再録音である。またこれで、ポリーニが若い頃から続けてきたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集が、ついに完結したことになる。最初の録音が1975年の後期ソナタのそれであるから、足掛けほぼ四十年かかったというわけだ。これほど長くかかったのは、他に例のないことではあるまいか。出来は様々で、個人的には最初に録音された後期ソナタ集のアルバムが忘れがたい。それ以外は、ショパンシューマンの録音に比べると、あまりピアニストに合っていない題材だったと思う。ベートーヴェンソナタ全集として、まず第一に薦められるとは到底云えない。しかし、こちらも長らく聴いてきたものだ。
 ここでの演奏は、そう、ここ数年の他のアルバムと同じく、壊れてしまったものを強大な意志の力で何と統合しているようなそれとでも、言う外はあるまい。今は今なりに完璧を目指しているのはよくわかるし、ある程度は成功している(しかし一部では、これまでなかった「手癖」のようなピアニズムが見られる)けれども、痛々しくもつらいことだ。技術面では、七十二歳の演奏とは思えないくらいではあるので、これ以上録音を続けるなら、例えばシュトックハウゼンでもやってくれないだろうか。後どれくらいポリーニの新譜が聴けるのだろう。まあ、人のことを言っても仕方ないが。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第16番~第20番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第16番~第20番

もう一枚、今度はオルフェオからポリーニの「お蔵出し」があった。1980年8月30日のザルツブルク音楽祭でのライブ録音で、曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第十九番K.459である。指揮はベーム、オケはVPO。まず録音が悪いのが気になるし、ちょうどポリーニのスタイルの変化の時期に当っていて、あまりいいものではない。ポリーニとしては、ドライ・マティーニのような辛口のピアニズムから、甘いシェリーのようなこのスタイルへの変化は、シューマンの交響的練習曲の正規録音へと結実するのだが、モーツァルトにはちょっとミスマッチであろう。まあ第二楽章などはなかなかのものだが、概して同じベームとの正規録音の方がいいと自分は思う。ただ、ここではベームがいい。終楽章など、瑞々しい演奏を聴かせてさすがである。ポリーニのファンには今ひとつの「お蔵出し」ではないだろうか。
KLAVIERKONZERT KV 459,

KLAVIERKONZERT KV 459,