ピンカス・ギラー『カバラー』/坂口恭平『現実脱出論』

2014年晩秋・冬_1晴のち曇。
音楽を聴く。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十七番K.458(ターリヒQ、参照)。■ブルックナー交響曲第四番(チェリビダッケ参照)。ふぅ、しんどかった。素晴らしいのだけれど、いかにも長いね。ブルックナーは、自分の感性に欠けている。■ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第九番op.117(エマーソンSQ、参照)。■シューマントッカータop.7、子供の情景op.15、ベートーヴェンの主題による練習曲、アベッグ変奏曲op.1(ル・サージュ、参照)。このクオリティの高さは何だろう。技術や解釈もそうだが、何と言ってもル・サージュはシューマンの「幻想」を表現できるのが素晴らしい。これは、どんなピアニストにでもできる技ではなく、これが欠ければシューマンではないのだ。最初はトッカータを聴こうと思っていたのだが、ずるずる聴いてしまうくらい魅力的なわけである。「子供の情景」とアベッグ変奏曲、特に後者が素晴らしい。シューマンが「作品一」にしただけのことはある。なお、「ベートーヴェンの主題による練習曲」は初めて聴く曲で、滅多に演奏されないと思うが、ル・サージュで聴く限り、そんなにつまらぬ曲とは思えなかった。充分魅力はあると感じた。

ピンカス・ギラー『カバラー』読了。入門書。記述はバランスが取れているのではないか。

知の教科書 カバラー (講談社選書メチエ)

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坂口恭平『現実脱出論』読了(電子書籍版)。話題になった『TOKYO 0円ハウス0円生活』と『独立国家のつくりかた』で、著者のことはいっぺんに好きになってしまった。この人は世界の隙間を見つけてくるのが上手い。こんな世の中でも、まだ考え方によっては自由な空間を見つけることができることを、教わった。そして本書を読むと、坂口恭平は現代のシャーマンかも知れないと思う。たぶん、誰でもそう思うのではないだろうか。もしかしたら、著者の不思議な感覚は、自身も公言されている「躁鬱病」による錯覚ではないかと考える人も多いだろう。自分にはそのことの当否はわからないが、それこそ本書にある「現実さん」の思考法で、そう断定するのもつまらないような気がする。まあ、それはいい。別の呼び方をすれば、著者は「詩を書かない詩人」でもあろう(もしかしたら書いておられるのかもしれないが)。世界の深いところから言葉を取り出してくる、これこそが「詩人」であるから。野蛮、プリミティブ、そういう言い方も、強く肯定的にしてみたいと思う。まだ、こうして世界と直接的につながっている、そうした人が生存可能で、そこから生まれた言葉が世に出ることが可能なのだ。一刀両断の下に否定し去ることもできようが、自分は肯定したい。こうした人は、これからますます貴重になってくることは疑いないと思うのである。