コミュニティ・バスに乗る/高橋源一郎『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』/上野千鶴子『ひとりの午後に』

休日。晴。
カルコス。9冊。BOOK OFF。15冊。

昼過ぎ、家の近くからコミュニティ・バス(どこまで行っても100円)に乗る。暖かくていい天気なので、カメラを持って散歩がてら、終点の産業文化センターから歩いて帰ってこようというのである。バスは細い道をくねくねと走り、子供の頃以来久しぶりの場所を縫っていくのが、面白くてたまらない。「へー、いま尾崎ってこんな風になっているんだ」とかね。バスを降りて「学びの森」の「冬ソナ・ロード」とやらを歩く。黄色く色づいたいちょう並木がじつに美しい。ぽくぽくと村なかを歩き、さらにいちょう通りを経て帰る。バスで三十分、歩きが一時間ほどか。さすがに疲れたが、歩いてみてよかったな。

高橋源一郎『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』読了。大傑作。日録に書く。しかし、宮沢賢治の童話くらい、全部読んでしまっておかないといけなかったなあ。反省。

母から借りた、上野千鶴子『ひとりの午後に』読了。著者にしてはセンチメンタルなエッセイだなと、まず思った。過去に『ミッドナイト・コール』というのはあった訳だけれども。しかしそのうち、この、心をさらけ出しているようで静謐な文章に、惹き込まれていった。それは、さほど驚くべきことではないのかも知れない。著者の論理は、感情と堅く結びついていることは、これまででも一目瞭然のことだったのだから。そしてそのような論理の使い手こそ、最強の「論理家」なのである。それはともかく、本書には魅力的な「文学」があると云っても、著者はさほど咎めないのではないだろうかと、思うのだ。ここには、ペットの文鳥の死に「三日三晩、泣き暮らした」上野さんがいる。
ひとりの午後に

ひとりの午後に