上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー 新版』

晴。
上野千鶴子ナショナリズムジェンダー 新版』読了。何という苦闘の書であろうか。本書で著者は、「従軍慰安婦」問題に渾身の力をぶつけている。問題は錯綜し、ここに太い論理を通すことは容易なことではない、どころか、ほとんど人生まで賭けた苦行になっている。本書を読めば、上野千鶴子が、イデオロギーで簡単に切り捨てられるような存在とは正反対なのがわかる。こんな学問の仕方があるとは。安逸に流れがちな自分などには、恐怖すら覚える厳しい世界だ。
 正直言って、今の自分には、「ナショナリズム」も「ジェンダー」も、ほっかむりして見ないでいればすむ問題である。たぶん多くの日本人も、自分と大差ないような気がする。こんなことから書かねばならないのは恥ずかしいことだが、やはり、それだけではマズいのではないか。戦争を知らない我々だが、やはりアジアへの「戦争責任」を引き受けねばならないのは明らかなのではないか。そして、我々は、あまりにも勉強不足であり、議論不足ではないか。我々知的幼稚園児は、論理をきちんと組み立てて考える、そういう訓練をしていかねばならないのではないか。そして、上野千鶴子の切れば血の出る論理の展開を追っていると、ためにする空疎な議論は、恥ずかしいと思わねばならないのではないかと、思わざるを得ない。必要なのは、事実を掘り起こして論理化するという、ひとつひとつ石を積み上げていくような地味な作業であり、我々は、そういう訓練から始めねばならないのだと思う。
 唐突のようだが、自分だけがよければそれでいいと云うのは、やはりマズいんじゃね? そんなのばっかりですけど。そういうのは偽善者、って云ってればすむのか? 少しづつでも、勉強しないといけないんじゃないの?