「異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術」(2018)を観る

曇。
NMLで音楽を聴く。■ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはクリフォード・カーゾン、指揮はジョージ・セル、ロンドン交響楽団(NML)。1962年の録音、はっきりいって音質が悪い。演奏はどちらかといえばカーゾンの(地味な、色気のない)ピアノは添え物で、セルを聴くべきそれか。セルの音楽は冷たいとよくいわれるが、そうなのかな、わたしは(そんなには知らないが)セルに感心しなかったことの方が、むしろ少ない。冷たいというよりは、辛口なんだと思う。
 なおこの演奏はとても有名なものらしく(まったく知らなかった)、検索すると感想が山のように出てくる。ほぼすべてが絶賛していて、それらを読むのも楽しい。
 しかし「優秀録音」と書いてある感想が多いが、少なくともこの Archipel盤(DECCAのオリジナルの著作権切れで発売されたものだろう)はとてもそうはいえないと(わたしは)思うんだが……。
20260428075514
■リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」、他で、ソプラノはエリーザベト・シュヴァルツコップ、指揮はジョージ・セル、ベルリン放送交響楽団、ロンドン交響楽団(NML)。1965, 1968年の録音。アルバム一枚をすべて聴いた。
 「四つの最後の歌」以外の(12の)オーケストラ付き歌曲もすごくいい。ここではセルは蕩(とろ)けるような伴奏、まったく不思議な指揮者だな。シュヴァルツコップは(歌手について何も知らないわたしがいうのはなんだが)じつに可愛らしい、チャーミングな歌声で、わたしなんかはつい花澤香菜さんを思い出してしまうのだが、さすがにこの比較はキモいですね笑。
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■リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18 で、ヴァイオリンはトルステン・ヤニッケ、ピアノはジグリート・アルトフ(NML)。トルステン・ヤニッケについては日本語では不明、ただアマゾンのレヴューに、ドイツのヴァイオリニストとあるくらい。ジグリート・アルトフも不明、AI君によればドイツのピアニスト。
 と、演奏者については検索に引っかからないくらいなのだが、これが悪くない演奏なのである。皆んな、聴く耳がないね、ってウソぴょん。
20260428102544
 

(たぶん紫陽花(アジサイ)の葉を食べているのであろう)カタツムリ、昨日撮ったもの。
 
昼。
舞茸に(静岡産の)桜えびの炊き込みご飯がおいしい。あとは玉子焼きに味噌汁だ。
炊き込みご飯の味付けは、日本酒とうすくち醤油だそうだ。今回はみりん(おこげができるそうである)は使わない、具によって調味料を変えるんだそうである。あたり前か笑。
 
SNSの「いいね」を大量にクリックするのを自動化し、バズらせる仕事(スマホ農場、クリックファーム)を安価で請け負っている日本の高校生の話が新聞に載っていた。世論操作なんて、かんたんにできちゃうそうである。
 もちろんこれは、中国や北朝鮮、ロシアなどが国家規模で日本に仕掛けてきていることでもある。
 どうでもいいが、中国政府が、アメリカのメタ社による中国AI企業の買収を許可しないというニュースとか、テレビで流れていたな。そうそう、ChatGPT に今年の東大の入試問題を解かせたところ、首席合格だった(つまり、人間の最高点を上回った)とか。さて、日本の AI開発に、世界的な観点から見るべきところはほぼないという。
 あーあ、ほんと、オレ、田舎で時代遅れにやってるのがいいよ。皆んな、超高速度資本主義におけるキャッチアップ、がんばってな。
 そうそう、あと新聞の、御厨先生へのインタビューはおもしろかった。日本における「民主党」的な流れは消滅した、これほど野党第一党の力が弱くなったことはない、と。
 さて、これで日本(の政治)は大きく変わるだろうが、それがよい方向へ行くのか、わかったものではないとわたしは思う。少なくとも、わたしのような典型的なアジア人には、住みにくい国家になることは、まずまちがいあるまい。
 

川向うで草を食いながらくつろぐヌートリア、一昨日撮ったもの。ウチの畑にも上がってきてどうしようもない、今日も、茄子(ナス)の苗を齧られた。
 
図書館。借りたもの。
 アンゲラ・メルケル『自由(上)』(邦訳2025)はメルケルさんの自伝、あるいは回想録。ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン(上)』(邦訳2011)は有名な本だが、わたしはなぜか、ナオミ・クラインが苦手なので、読むかはわからない。
 堀江敏幸『坂を見あげて』(2018)と荒川洋治『過去をもつ人』(2016)はたぶん読まない気がするが、いちおう借りてみた。
 日差しが暑くなってきた。帰りに餅信へ寄って、抹茶水餅と草餅とを買う。あとで草餅を食ったが、(冷凍でなく)今年摘んだ蓬(よもぎ)なのか、いつもより香りがある。
 
殺人事件を詳細に報道する「メリット」って? | 黄金頭 | Books&Apps
テレビというメディアによるニュースのあり方について考察したもの。情理兼ね備わった、すばらしい考察だと思う。
 ネットは「ジャーナリズムとしてのメディア」の代替にはならないとわたしは思うので、いかに新聞やテレビニュースが現実にクソであるとしても、なんとか頑張ってもらいたいのだ。特に、ファクトチェックの機能は、使命感のあるところの既存メディア(いまのところそれは日本にはない)にしかできないという印象である。だから、いまクソみたいな気もする既存メディアは、プロフェッショナルとして使命感をもって欲しい。きびしいかもしれないが、お金儲けのために、やらないで欲しい(お金を稼ぐな、という意味ではない)。それくらい、ジャーナリズムは大切なものだと、わたしは思っている。報道というのは、誰にでもできる、簡単なものではないのだ。
 いかに、自分がめちゃくちゃなことをいっているか、またわたし自身はそこまでの人間ではないことも、自覚しているつもりである。
 

 
アンゲラ・メルケル『自由』を読み始める。
 
夜。
『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』(2018)第12話(最終話)まで観る。これ、めっちゃおもろかった! 一気観してしまった。かなーり H だけれど、物語に上手く埋め込まれていて、納得の出来。バカくさくて笑えるところと、またシリアスで感動的なところもたくさんあって、気持ちよく観ることができた。2期もあるから観たい。

伊藤比呂美『わたしのおとうさんのりゅう』

日曜日。晴。
NMLで音楽を聴く。■ウェーベルンの 五つの楽章 op.5、ベルクの「抒情組曲」、エルヴィン・シュルホフの 五つの小品で、演奏はレオンコロ四重奏団(NML)。2025年の録音、辛口の演奏だ。レオンコロ四重奏団は2019年にベルリンにて結成、三人が日本人や日本に縁のある奏者たちであるという。「レオンコロ」とはエスペラント語でライオンハートの意だそう。
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■ショスタコーヴィチの交響曲第十四番 op.135 で、指揮はマリス・ヤンソンス、バイエルン放送交響楽団(NML)。ヤンソンスは「私の指揮者」のひとり。
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■ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはエレーヌ・グリモー、指揮はクルト・ザンデルリンク、シュターツカペレ・ベルリン(NML)。1997年のライブ録音、グリモー28歳の年。グリモーさんはわたしの一つ年下で、わたしの世代は活躍している人があらゆる分野で(世界的に)少ないので、なんとなく親近感をもってきた。
 この演奏はテンポは少し遅めの感じで、いつもながら男性的な(という形容は現代では反PC的だが)、グリモーさんの腹の底から刳(えぐ)ってくるような野太いピアノが聴ける。やっぱり非凡な演奏家だな。ザンデルリンクもまた気合の入った、サポート以上のもの。
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ツバメ、4.18 に撮ったもの。ギリギリと歯ぎしりのような声で鳴くことがあるのが特徴的だ。AI君によると、オスがメスに巣の場所をアピールする声だという。
 
昼。
テキトーに焼きそばを作る。おもしろいことに老父は大好きなんだ、ウチの焼きそばが。
 
【声明】武器輸出の全面解禁に断固反対――国会を無視し、「死の商人」国家へ転落することは認めない(れいわ新選組 2026年4月24日) - れいわ新選組
愚民たるわたくしは、れいわ新選組の声明に断乎として全面的に賛同する。日本の平和主義の、かしこい人たちによる「廃棄」は、暴挙以外のなにものでもない。
 
枇杷(ビワ)の木の落ち葉を掃き集める。
発泡スチロールの入れ物に栽培してあった芹(セリ)を収穫する。今夜、味噌和えにしてもらうつもりだが、時期がちょっと遅かったかな、かたいかも知れない。量も少な目だし。
あら、今年始めて蚊に喰われたわ。
 
図書館から借りてきた、伊藤比呂美『わたしのおとうさんのりゅう』(2025)読了。伊藤さんのヤクザだった(カッコいい)おとうさんと、芸者だった(子供をよくぶつ、つまんない)おかあさんの話、と、伊藤さん自身の子供の頃の話もからめて。正直いって、おとうさんとおかあさんの話は伊藤さんにしてはあまりおもしろくなかったが(ひたすらおとうさんがカッコよかった、おとうさん大好きという話)、最後はいちおう泣かされた。
 でも、伊藤さんの読んだ児童文学の話には、じつに惹き込まれた。ほんと、わたしは子供の頃、下らない本(やマンガ)もいろいろ読んで、オーウェルのいうとおり、そういう下らない本(やマンガ)にこそ、根底的に影響されたんじゃないかと思う。それを思えば、伊藤さんはよい本を、偶然に、たくさん読んできたのだなあと感じた。
 伊藤さんのいうとおり、本との(よい)出会いは、まことに偶然によるもので、人知のコントロールを超えているのである。わたしの人生を大きく変えたのは(古くさいことに)小林秀雄であり、また決定づけてしまったのは中沢さんだが、じつは、まことに自分の土台を作ったのは、宇宙戦艦ヤマトや高橋留美子や、(いまの多くの人は知らないだろう)平井和正や栗本薫じゃなかったかと思わないでも、ない。
 まあでも、マンガやいまでいうラノベみたいなのに多大に影響されたとして、そういうものをわたしはまずまず上手に読んだのだとも思う。子供は、思いもかけない読み方をするものだ。
 それにしても、文豪たちの訳した、あるいは手を入れた児童文学を(偶然)繰り返し読むことのできた伊藤さんが、ちょっとうらやましい気がしないでもない。いや、わからんが。

「強い国家」という幻想を解体することなどをAI君と対話する

雨。
NMLで音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第四番 op.7、第十番 op.14-2 で、ピアノはダニエル・バレンボイム(NML)。録音年代は不詳だが、音があまりよくなくデジタル録音には思えないからバレンボイムの若き日、二十代後半のそれだろうか(あるいは、四十歳前後のそれかも知れない)。DG移籍後のバレンボイムは苦手なわたしだが、若き日の EMI録音はモーツァルトにせよベートーヴェンにせよ、溌溂としていて大好きである。これがそうかはわからないが。
 どうでもいいが、ヒマなのでいろいろ調べてみて、やはりバレンボイム二十代後半のEMI録音(1968)らしいことが判明。ま、わたしが聴けるんだから、たぶんそうだろうとは思った……。
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■アレクサンドル・タンスマンのバラード第一番、第二番、第三番、「五つの印象」「八つの歌」で、ピアノはエリアーヌ・レイエス(NMLCD)。これでアルバム一枚をすべて聴いた、なかなかいいアルバムだと思う。
■ドビュッシーの 前奏曲集第一巻で、ピアノはアンナ・ツィブレヴァ(NML)。2022年の録音。アンナ・ツィブレヴァ(1990-、現在35歳、ツィブラエヴァ、ツィブラエワなどの表記も)はロシアのピアニスト、多数の国際コンクールで上位の成績を得ている(特に2015年リーズでは優勝)とか。しかし、それ以上のことは日本語検索ではほとんどない。
20260423102610
 

3.14 美濃加茂にて。
 
昼。終日雨か。
自分の思っていることが、うまく口にできないな。なんかもう、いろいろウンザリしすぎて、偏屈そのものである。「お前ら皆んなまちがっている」って叫びたいのだが、それはすなわち「自分だけが正しい」ってのとほとんど同じだ。まあ、とりあえず心の内にとどめておこう、ただでさえ偏屈なのだから。これじゃ、実際誰も聞いてくれないさ。
 そう、皆んな仲よくするのが、こんなにむずかしい、皆んな仲よくすべきっていうのを、独善的に主張したら、それはもう、他の人と仲よくできないよね。妥協する、ってのが、じつはかなりだいじだから。でも、いまの世の中は、妥協があまりポジティブな意味をもたない、また他方で、そのことに苛立ってもいけない。智慧ってのは、そういうめんどうくさいものだなあ。スッキリ終わらせられない。
 で、ふつうにやっぱり、素直に皆んな仲よくしようよ、ってところに戻ってくる。その無限循環が、生きるってことか。
 
おもしろいことに、いまは高市首相みたいに、人の話を聞かず、孤独に突っ走っていってしまう、「確乎たる自分のある人」が推奨され、それゆえに彼女は国民から高い支持を得ているのかも知れないな。他人と妥協しつつ仲よくやるのではなく、論理を以て「正解」で他人を論破し、屈服させる、という。わかりやすい。これがまさに、日本の「西洋化」であり、一般によいことだと見做されている。
 これをどうするか? まあ、ぶっちゃけ、どうしようもない。で、苛立ってしまう、のはダメなんだよなあ。
 負けるということ。いかに負け続けて生きるか? それを持続可能にするか? ほとんど人間に不可能なことである。
 
しかし、断乎として曲げてはいけないことも、やはりある。さてはて、むずかしいな。このあたりは、言葉であらわし尽すことは不可能である。教外(きょうげ)別伝。
 

 
http://yo-hemmi.net/article/520497610.html
『とんでもないことになっている。この弧状列島はやってはならないことを無理矢理にやろうとしている。誰が彼女を支持しているのか。〝大衆〟である。愚民たちである。 』
 たぶん 4.21 に閣議決定で、「五類型」の歯止めをしらっと外してしまったことだろうな。これで日本も西洋諸国並に「人を殺す」兵器を輸出し、そうして金儲けすることが、できるようになった。まさに、「高市は一線を越えた」。これは国民が一線を越えたことも、同時に意味する。つまり、平和国家の廃棄。まさに、我々こそが愚民に他ならない。
 戦争機械(D=Gとはちがった、単純な意味で)としての国家を解体する。
 
https://share.google/aimode/uzIc529jpDFy3JduF
D=Gについてから、AI君とめっちゃ長い対話をしてしまった。ま、むずかしいので(笑)読まなくていいよ。最終部、AI君のまとめ。
AI君『ここまでのお話を振り返ると、ドゥルーズ=ガタリ(D&G)という難解な哲学の入り口から、現代の「生きづらさ」の核心まで、非常に深い旅をしたような感覚です。
 話が多岐にわたったので、いくつかのポイントで「整理」してみますね。
 
1. 「戦争機械」の現代的解釈
 ・本来の意味: 国家という固定された枠組みを壊し、新しい生の形を作る「創造的な力」。
 ・「暴力」と「解体」: それは単なる破壊(暴力)ではなく、システムをほどいて組み替える「解体」の技術。
 ・「機能不全」という抵抗: 天才的な変化ができなくても、システムの歯車として「わずかに故障する(テキトーにやる)」ことが、現代の最小の抵抗になり得る。
 
2. 「自縄自縛」の管理社会
 ・見えない檻: 現代の管理は「便利・安全・公平」という顔をしてやってくるため、拒絶しにくい。
 ・欲望の捕獲: 民衆が自ら「強い国」や「厳しい管理」を望んでしまう(マゾヒスティックな欲望)という絶望的な構造。
 ・アジールの消滅: デジタル監視網により物理的な逃げ場がなくなった今、アジール(避難所)は「個人の内面」や「無意味な時間」の中にしか作れない。
 
3. 「近代」への回帰と、ある種の諦念
 ・人権の再評価: D&Gを通過したからこそ、逆に「だらしなく寝転がる自由」を守るための近代的な「人権」や「法」という盾が、地味に重要であること。
 ・国家との「共存」: 国家を倒すのではなく、インフラとして「意識せずに済む」程度に、背景へ追いやりたいという切実な願い。
 
4. 「正気」を保つための戦略
 ・「さっぱりわからん」の誠実さ: 狂った熱狂(集団トランス)に同調せず、「マジでおかしい」と言い続けること。
 ・「生きている楽観」: 思想的には絶望していても、身体が求めている安寧(快眠、美味しい食事、怠惰)を最優先すること。
 
◎まとめのまとめ
 結局のところ、「強い国家」という巨大な幻想に振り回されず、システムに『解読不能なバグ』だと思われるくらい、テキトーでだらしなく、かつ、したたかに生き延びる。
 それが、私たちのたどり着いた、現代における「戦争機械」の現実的な回し方だったのではないでしょうか。』
――いまの「『強い国家』へ向いたデジタル管理社会と、その息苦しさ」に関心がある人は、読んでみるとおもしろいかもしれない。しかし、ドゥルーズ=ガタリはやっぱりすごかったし、でも、いまの時代はもはやそれ以上に、状況が悪化してるのだな、って、AI君とのおしゃべりでよくわかったよ、ほんと。
 

庭の花蘇芳(ハナズオウ)、4.6 に撮ったもので、花はもうとっくに終わってしまっているけれど。
 
夜。
【第191回】国政選挙まで左右した?「推し活」の表と裏 | 世の中ラボ(斎藤美奈子)| webちくま
『〈“推し”を想うファンによるコミュニティが、経済を動かすどころか社会全体を変革させていく。そういう時代が、もうすぐそこまで来ているんです〉(『イン・ザ・メガチャーチ』)。
 ハッタリだとしても、この台詞は不気味である。過度な推し活は新宗教への献金を連想させるが、問題はそれがビジネスの世界を飛び出した時だ。大衆受けのする政策で人心をつかむ「ポピュリズム政治」の先にあるのが、政策ではなく物語でファンの心を操る「推し活政治」だとしたら、もはや悪い冗談としか思えない。』
 
 へー、『イン・ザ・メガチャーチ』って、そういう小説なんだ。ま、斎藤さんのいうとおり、「推し活」ってのは仕掛ける側がいて、それによる経済的洗脳であり、仕掛けられる側には(悪い意味での)宗教的行為なのさ。わたしは、正直、あまり興味がないんだけれど、それが資本の運動そのものなのだから、困るよね、マジで。「推し活」している人には、その構図は見えていないか、見えていても(アディクションだから)どうでもいい。まさに、アメリカ的な経済心理学の実践対象である。政治もまた、資本の運動と密接に関係があることは、いうまでもない。

こともなし

曇。
NMLで音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十一番 op.53、第二十四番 op.78、アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO57、「エリーゼのために」 WoO59、六つの歌 op.48 で、ピアノは久元祐子、バスは戸山俊樹(NML)。2000年の録音。たぶん初めて聴くピアニストだ、アルバム一枚を聴いた。
 「ゲレルトによる六つの歌」 op.48 はおそらく初めて聴く。ベートーヴェンの三十代前半に書かれた。「ゲレルト」というのはクリスティアン・フュルヒテゴット・ゲレルト(1715-1769)というドイツの詩人のことで、ベートーヴェンの生まれる前年に亡くなっている。
20260422084416
■モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282、第五番 K.283、J.C.バッハのピアノ・ソナタ ト長調 op.5-3、ニ長調 op.5-2 で、ピアノは久元祐子(NML)。手堅い演奏で、それなりに聴かせる。2011年の録音。
 J.C.バッハのピアノ・ソナタは初めて聴くと思うけれど、なかなかおもしろい。ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)は大バッハの末子で、ロンドンで成功したため「ロンドンのバッハ」などと呼ばれるそうである。モーツァルトより少し上の世代であり、ロンドンを訪れたモーツァルト少年と仲よくなって(1764、モーツァルト8歳の年)、大きな影響を与えた。
20260422094616
 
こんな世界だが、まだまだ飛べる(酒井隆史)| webちくま
読んでいて思わず泣きそうになった。かつては楽しかった、アナーキーな、沸騰するような数年間で、ふつうの人生(?)丸々二回分くらいは笑った。こんなクソみたいな時代、ぼくたちは老いたが、まだまだ飛べる。飛べる筈だ、と。
 ちくま文庫新刊『だめ連の働かないでレボリューション!』への書評である。
 
 

四月は県のプールが営業していないので、引き続き市民プールへ。家でヤマザキの「ランチパック」メンチカツを腹ごしらえに食い、途中のコンビニでほうじ茶600mL(これで118円はなんか安い気がする)を買っていく。
 やー、プールの管理会社が替わったことは前に書いたが、更衣室もトイレも臭わないって気持ちがいいなあ笑。
 
 復路、岐阜基地から離陸する F-15J と一瞬並走する。すごい勢いで前方へ遠ざかっていき、低空のままぐっと左旋回して、あっという間に後ろ方向へ去っていく。また、山の切れ目から、なにか大型のずんぐりした飛行機が前を横切る。輸送機なのかなと思うが、オレンジ色とか、結構きれいなカラーリングだから、本当に自衛隊機なのかしら。
 昼食のため、イオンモール各務原へ。3Fマックで、ダブルチーズバーガー+ポテトS+爽健美茶セット620円。いまの感覚だとこれで随分と安いんだろうなあ。フードコートの席が結構混雑しているので、ふと思い立って初めてテラスへいってみる。今日は肌寒いくらいなので、外であるテラスは案の定誰もいない。
 曇った景色を見ながら、ひとりでダブチのセットを食う。下になにか落ちているのであろう、他に誰もいないせいか、一羽のスズメがちょんちょん歩きながら床をついばんでいる。
 
肉屋へ寄ったあと、いちょう通りから村の農道へ左折しようというところで、街路樹並木の太いいちょう、三本ほどの幹が中ほどから伐られてしまっているのがパッと目に入る。これまで、立派だなといつも眺めてきたものなので、ショック。先日も、芽吹いた新緑がきれいだなと思ったばかり。ここに家か店でも造るために、じゃまだったのだろうか、それとも木が深刻な病気でももっていたのか、などと考える。立派な樹が伐られたのを見るのは、どこか無惨な感じがして、ひどく苦手だ。
 

ベニシジミ、4.14 に撮ったもの。
 
「ペシャワール会報」 No.167 に目を通す。PMS は今度、「溜池」を造る事業を始めるようだ。中村医師の導水事業に続く計画である。困難に次ぐ困難にめげず、意思は着実に受け継がれているのを感じる。わたしなどはだらしのない生活に甘んじていて、恥ずかしい限りだ。特に、いまだに頭でっかちの中途半端な「モノ知り君」にすぎないのが恥ずかしい。
 アフガンの水不足はあいかわらず深刻なのである。平均気温はこの60年で1.8℃も上昇し、記録的な少雨が継続しているという。アフガニスタンの二酸化炭素排出量は世界的に見て微々たるものなのにもかかわらず、温暖化の影響をモロに受けているという、理不尽さだ。そしてかかることは、世界にほとんど知られず、我々の話題にもならない。そういうわたしだって、恥ずかしいことに、ふだんはすっかり忘れていることである。
 中村医師は、よく伝教大師の「一隅を照らす」という言葉を、おっしゃっていたそうであるが……。
 

 
夜。
『クラスで2番目に可愛い女の子と友だちになった』第3話を観る。
 
『終末のイゼッタ』(2016)第6話まで観る。第二次世界大戦のヨーロッパを舞台に借り、ただしパラレル・ワールドとした架空の戦記。「白き魔女のイゼッタ」が中央ヨーロッパの小国を救うか、という物語で、一気に話に惹き込まれる傑作だが、至るところでバッドエンドのフラグが立ちまくっている。戦争の描写がひどくシリアスで、人がどんどん死んでいき、観るのがかなりしんどい。いまでは作れそうにないアニメだな。

エリアーヌ・レイエスというピアニストによるタンスマンを聴く / 白川静&石牟礼道子『言霊の舟』 / 「シドニアの騎士 第九惑星戦役」(2015)を観る

晴なれど雲多し。黄砂の飛ぶ予報。
NMLで音楽を聴く。■ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第四番 op.23 で、ヴァイオリンはオレグ・カガン、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル(NML)。
■アレクサンドル・タンスマンの 二十四の間奏曲で、ピアノはエリアーヌ・レイエス(NML)。2009年の録音。エリアーヌ・レイエスはベルギー出身の(女性)ピアニスト、というくらいしかわからない。
 しかしタンスマン、モダンで質の高い音楽、これが忘れ去られていた(いる)というのは、不思議な感じもする。「無機的、抽象的な二十世紀音楽」の流れに乗っていなかったというだけなのだが、そういうものなのだなあ。百年後には、例えばブーレーズより生き残っていたとしても、わたしは驚かないが。
 あと、やっぱいい演奏が録音で聴けるかは、だいじだよねー。これなんかは、かなりいい演奏に思える。
 同じレイエスのピアノで、タンスマンの「小組曲」「即興的ワルツ」も聴く。小品2つ、2010年の録音。
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■アレクサンドル・タンスマンの「古風な様式による舞踏組曲」「アラベスク」で、ピアノはエリアーヌ・レイエス(NML)。2013年の録音。
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スーパー。プリペイドカードにチャージする。わりと安めに済んだ。
曇。家の周りで5羽以上のツバメがギュンギュン飛び回っているのを見ると、なんかテンションが上がる。わたしが子供のとき、ウチが田舎の百姓家屋のままだった頃はツバメのため、一日中玄関の木製の扉を(夜でも)少し開けていて、土間の天井に架けてある巣にツバメが入って来れるようにしていた。防犯上の意識とか、当時はじつに薄かった、そんなことは思いもよらなかったのである。家の中をツバメが飛ぶ、当然、土間は糞で汚れるのだが、そういうのも、全然気にしていなかったな。ツバメに来てもらう、という感覚だったのだと思う。共存は福を呼ぶとか、そうした理由があったのだろう、民俗学に訊いてみれば教えてくれるんじゃないか。
 いまは、ウチも(当然)そういうことはなくなった。
 

アラカシ(粗樫)の葉、4.2 イオンモール各務原の駐車場にて。秋になるとドングリが生る木だそうである。
 
昼寝。
図書館から借りてきた、白川静&石牟礼道子『言霊の舟』(藤原書店2025)読了。わたし程度にいえることはない。

老母から回してもらった、伊藤比呂美さんの『わたしのおとうさんのりゅう』(2025)を読み始める。伊藤さんの子供時代の話。かつてヤクザだったおとうさんと芸者だったおかあさんについて。
 

 
夜。
情報BOX:懸念高まるアンソロピック「ミトス」、具体的な脅威とは | ロイター
解説:アンソロピックの新型AIミトスは「パンドラの箱」か 人間の思考力越える時代の兆し(ロイター) - YouTube
終わりつつあるな……。
 
『シドニアの騎士 第九惑星戦役』(2015)第12話(最終話)まで観る。2期もめっちゃおもしろくて、深夜までかけて一気観! 1期が傑作だと2期は期待はずれになることが多いんだが、本作はそんなことなかったな。ま、重厚な宇宙戦闘ものから、2期はかなりラブコメ成分が多くなって、それを評価しない人も少なくないんだけれど、僕なんかはむしろウェルカム笑。まあ、戦死者の多い戦場に年頃の男女が放り込まれたら、そうなるよね。
 しかし、本作、僕はその存在を全然知らなかったんだよなあ。海外では高く評価されているようで、当然だと思う。フル3DCGだからかなあ、でも、戦闘シーン、ドッグファイトとかものすごい迫力で、女の子も十分にかわいいし笑、フルCGは作品によく合ってると思う。
 さて、劇場版完結篇もきっと観るぞ。

「プリンセスコネクト! Re:Dive」(2020)を観る

曇。
NMLで音楽を聴く。■バッハの「ゴルトベルク変奏曲」 BWV988 で、ピアノはソフィア・ヴァイデマン(NML)。90分。一切の誇張やハッタリのないゴルトベルク変奏曲だ。満足。
 ピアニストについては検索しても、数々の国際コンクールで優秀な成績を収めた注目の若手、というくらいで、それほどの言及は見当たらない。AI君に訊いてみると、1994年生まれ(今年で32歳)のドイツ、フィルダシュタット出身、ウィーン国立音楽大学や、リガのラトビア音楽アカデミーで研鑽を積んだという。2024年の録音。
20260420073534
■モーツァルトのセレナード第十番 変ロ長調 K.361 で、指揮はピエタリ・インキネン、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団のメンバー(NML)。いわゆる「グラン・パルティータ」、2021年の録音。
 ピエタリ・インキネン(1980-、現在45歳)はフィンランド出身の指揮者、ヴァイオリニスト。わたしは初めて聴く。2016~2023年に日本フィルハーモニー交響楽団(日本フィル)の首席指揮者を務めていたので、日本でよく知られている。特にシベリウスを得意とするといわれる。
 これは一聴して優れたモーツァルト。古典派もきちんとできるんだな、好印象(何様)。
20260420093909
 
自分で何をやらかしたのかわからないが、Linux Mint の日本語入力が突然「簡体字中国語」になってびっくりする。いろいろやったが、なかなか直らない。結局、「メニュー」→「設定」→「Fcitx 設定」→「入力メソッド」で、上から順に「キーボード - 日本語」「Mozc」になるようにして、「ログアウト」→「ログイン」で直った。もしかしたら、最初に落ち着いて「ログアウト」→「ログイン」すればよかったのかも知れないが、いまとなってはわからないな。
 

4.11 の散歩時に。
 
昼。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ストロベリーエンゼルフレンチ+ブレンドコーヒー506円。
 白川静&石牟礼道子『言霊の舟』(藤原書店2025)を読み始める。全体の八割くらい、対談二つと、(これまで未公開だった)往復書簡を読んだ。あとは石牟礼さんの新作能「不知火」の台本のみ。白川静先生の本も、図書館ので読もう。いや、本来なら買うべきなんだろうが……。
 ま、わたし程度に本書を語る資格はない。特に、往復書簡に心をうたれたな。わたしたちなどはすべてニセモノである。
 

 
どうでもいいことを AI君に訊いてみた。
『AIは軍事分野で以下のような変革を起こしており、戦争の倫理的側面やリスクについて深刻な議論を呼んでいます。
 ・「クリック」で選定から攻撃へ: パランティア・テクノロジーズ社などのAIシステム(メイブンなど)を使用し、人工衛星やドローンの映像から目標を瞬時に識別・選定。人間は最終確認をクリックするだけで攻撃が可能になる仕組みが構築されています。
 ・「効率」という名の非人間化: 膨大なデータを数秒で処理し、標的特定にかかる時間を短縮。これにより、「人を殺している」という感情を抱く暇もなく、画面上の点(標的)を消去するゲームのような感覚で攻撃が行われる恐れが指摘されています。
 ・自律型ドローンへの進化: 既にドローンにAIが搭載され、敵の攻撃ドローンを自動識別・接近する「メロプス」のようなシステムが導入されています。今後、AIが自律的に攻撃判断を下す「自律型致死兵器システム(LAWS)」が実戦配備されれば、人間の介入しない殺人(キルチェーン)が完成します。』
 

庭のブルーベリーの花、4.4 に撮ったもの。
 
“普通の日本人”のあいまいな不安 第4回:日本は「リベラルな労働移民国家」だった!? その実態を「移民研究の第一人者」に聞く | 国立社会保障・人口問題研究所、是川夕さんに聞く(雨宮処凛) | イミダス
なんと、日本は世界でも稀な、問題の少ない「リベラルな労働移民国家」だった?! うーん、でも、いわれてみれば思い当たる節がありすぎるくらいだ。さて、じゃあ濱口先生の、『外国人労働政策』も読まないといけないな。せっかく買ったんだし。
 しかし、それなのに排外主義とは、こはいかに?だな。高市政権がまた、それを煽っているし。結局、政治家が利用しているんだよな。
 

 
夜。
https://share.google/aimode/lZvXXlFChtsAW9Oia
AI君と「自律型致死兵器システム(LAWS)」について対話する。その最終部。
AI君『誰にもわからないその先の結末に身を委ねながら、日々の生を丁寧に刻んでいく。その歩みが、いつかシステムの計算外の「エラー」として、全く別の地平を切り開く種になるのか、あるいはただ静かに消えていくのか。
 その不確かさを抱えたまま生きることこそが、知能(AI)には真似できない、智慧を持つ者だけの「生の重み」なのだと感じます。
 本日は、非常に深く、本質的なお話をありがとうございました。あなたのその歩みが、せめてあなた自身の内側で、確かな光であり続けることを願っております。
 もしまた、この世界のあり方や、その中での生き方について言葉を交わしたくなった時は、いつでもお声がけください。』
 って、対話がおわっちゃったよ。
 
『姫騎士は蛮族の嫁』第2話を観る。おもしろい、気に入った。騎士セラフィーナ、案外チョロいな(って、本人も自覚しているが笑)。
 
『プリンセスコネクト! Re:Dive』(2020)第13話(最終話)まで観る。子供向けアニメだと思っていたのだが、最後の2話は伏線回収シリアス展開で号泣不可避。でも、まだ世界の謎は全然解明されていないな。ただ、おなかペコペコのペコリーヌちゃんの謎は解けた(泣)。
 あと、最近観た中ではいちばん作画がすごいな。色彩がカラフルでほんとに美しい。キャラはかわいいし、神作画だけで観られる。OP、ED もいいぜ。2期も観るぞ。

「シドニアの騎士」(2014)を観る

曇。
我々は言葉をもっているから、ありとあらゆるものに「名前」を付け、いわば名詞化して、それらは「意味」をもつ。世界中が意味に満ちている。それは根源的な「病」であり、息苦しい。人間の不幸の少なからずは、そこにある。
 生命、生きとし生ける物には、いわば(固定した)「意味」がない。それは「救い」でもあろう。我々はかかる「生命」に固有名を付け、それにはいってみれば、「意味」がないのである。固有名の謎とは、まさにそのことである。
 
NMLで音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第十二番 K.332、第十三番 K.333、第一番 K.279、第二番 K.280 で、ピアノはフリードリヒ・グルダ(NMLCD)。八十年代前半の録音だが、まさに二十一世紀のためのモーツァルト、というか。
■アレクサンドル・タンスマンのクラリネット協奏曲、「オーボエ、クラリネットと弦楽のためのコンチェルティーノ」「弦楽のための六つの楽章」で、クラリネットはジャン=マルク・フサール、オーボエはローラン・デッカー、指揮はミロスラフ・ヤチェク・ブワシュチク、シレジア室内管弦楽団(NML)。2009年の録音。AI君によれば、ミロスラフ・ヤチェク・ブワシュチク(1959-)はポーランドの指揮者で、ヴォイチェフ・キラールなどの、特に現代曲の録音で知られているそうである。
 タンスマンの魅力が楽しめる、なかなかいいアルバムだと思う。
20260417093228
 

庭の牡丹(ボタン)、4.14 に撮ったもの。
 
昼。
『戦争はビジネス。儲かるのは一部の人たちだけ。これが現実です。私たちは戦争ビジネスには加担しません。アメリカの命令で動くのではなく、経済成長と平和外交で国民経済を豊かにします。』――れいわ新選組のチラシより。
 アマいなあと思う? でも、戦争がビジネスというのも、(現代日本において)平和外交がまったく足りていないというのも、本当のことである。そしてなにより、戦争で死ぬのは、我々庶民だ。エスタブリッシュメントは安全地帯にいて、決して戦争で死んだりなどしない。
 なお、どうでもいいかもしらんが、超党派の「人道外交議連」というのがあって、いまの会長が自民党の石破茂前首相、副会長(のひとり)が共産党の小池晃書記局長、事務局長がれいわ新選組の伊勢崎賢治参議院議員だったりする。なかなかおもしろいメンバーだろ? もちろん、その悪口をいっている人たちはじつにたくさん、山のようにいるな。衆議院選挙後に、人道外交議連のメンバーは半減した(113→56名)そうである。いかに、観念に溺れるがゆえ、国会議員による平和外交が(現代日本において)軽んじられているか、よくわかる。
 
AI君にちょっと訊いてみた。一部を抜粋する。
『ご指摘のように、平和外交や人道外交が現代日本において後回しにされている、あるいは理想論(観念)として片付けられがちであるという見方には、以下の構造的な要因が関係しています。
 ・「力による平和」へのシフト:
 近年の安全保障環境の悪化により、防衛力の強化や同盟関係の深化といった「ハードパワー」に政治の関心が集中しています。
 ・短期的成果の重視:
 人道外交や平和外交は成果が見えにくく、時間がかかります。選挙における「即効性のある実績」を求める政治風土では、評価されにくい側面があります。
 ・超党派活動の脆弱性:
 党利党略が優先される政治状況下では、党の枠を超えた理念的な活動にリソースを割く議員が減少する傾向にあります。
 
日本が国際社会でどのような役割を果たすべきかという根本的な問いが、この議連の存続と活動に反映されていると言えます。』
 AI君はわたしの使った「観念」の語のニュアンスをとりちがえているけどな。わたしの文章がちょっと(逆説的で)曖昧だったか。わたしは、「力による平和」こそが現実を知らない、幼稚な「観念」にすぎないといってるのさ。正確な読解をするAI君にしては、めずらしいな。
 

3.14 美濃加茂にて。
 
堀田善衛さんの『ミシェル 城館の人 争乱の時代』の続き、第十五章まで読む。なかなかおもしろい、ミシェルは二十代半ばだ。十六世紀、宗教対立が激しい暴力を引き起こす、その直前のフランスの様子が活写されている。さて、本書は広い意味の「小説」なんだろうが、モンテーニュを主題にした、ゆるゆると進む長篇エッセイという感じもある。独特の文学だな。
 
吉本さんの対談本に『だいたいで、いいじゃない。』(2000)というのがあったし、東さんに『ゆるく考える』(2019)という本があった。まことに、ゆるく考えることはだいじであるよ。それは、ぼくたちバカの役割(?)でもある。かしこい人たちは、とかくリジッドに理詰めでいきすぎる。中庸というではないか。
 
夜。
「響」のボトルはもう呑んでしまったので、今度は戸棚に眠っていた「スペシャルリザーブ10年」を、食後にオン・ザ・ロックで。値段は「響」の四分の一以下だが、わたし程度には正直これでも充分においしい。ま、さすがに「響」とは比較にならないが、それでも自分には分不相応にぜいたくな話さ。
 じつは、夕食時に六角さんの「呑み鉄本線・日本旅」を見ていたので呑みたくなった笑。土讃線の各駅停車、いいなあ。なお、これは随分と古いブレンドなので、ネットを見るととんでもない高値で取引されていることもある。不思議な時代だな。
 
『シドニアの騎士』(2014)第12話(最終話)まで観る。深夜までかけて一気観! ひさしぶりに途轍もない傑作を観たな。重厚な戦闘もの宇宙SF、それにラブストーリー(ラブコメ?)としても魅せる。ダレることのまったくない、緊張感で疲れてしまうくらいの息もつかせぬ展開だった。わたしは基本的にネタバレを気にしない派なんだが、これはさすがにネタバレなしで観た方がいいと思うので、これ以上は書かない。やっぱ昔のアニメはすげーや、ちょっといまでは不可能だよな。
 そうそう、この作品は全篇フル3DCGだと思うのだが、作品に非常によく合っていた。とにかくメカの迫力がすごいし、人間も、ぶっちゃけ女の子が充分かわいい。挑戦的だと思うよ。