澁澤訳の『荘子』知北遊篇からの断片

澁澤龍彦編の『オブジェを求めて』を読み返していたところ、『荘子』知北遊篇第二十二からの断章が格好良く引用されていたので、ここに録しておく。澁澤自身の訳と思しい。

東郭子が荘子にたずねて、「いわゆる道とはどこにあるものですか」と。荘子が答えて、「あらざるところなし」と。東郭子はさらに、「どこにあるか指示してください」と。荘子「螻や蟻にある」「ずいぶん下等なものにあるのですね」「稊や稗にある」「これはますます下等になってきたぞ」「瓦や甕にある」「これはいよいよひどい」「糞尿にある」これを聞くと、東郭子はあきれて返事もしなくなってしまった。そこで荘子がいった、「あなたの質問はそもそもピントがはずれている。たとえば市場の役人が屠卒に豚を踏ませて、豚が肥えているかいないかをしらべるときにも、踏みつける場所が豚の下等な部分、尻や脚のほうになればなるほど、全体の肥え具合がよく推察される。それと同様に、道がどこにあるか、とくに限定するにはおよばない。道が物から独立遊離してあるものだと思ったら、それこそ大間違いのこんこんちきだ。道とはすべて物の中にあるものだと料簡するがいい。大言の教えもこれと同様で、周徧咸の三字は名を異にして実を同じくする。いずれも道があまねく存在する意をあらわしているのさ」と。