「国家のエゴ」と力と知識 / クロード・レヴィ=ストロース『モンテーニュからモンテーニュへ』

晴。
自分にはまったく新しい想像力が夢としてフィクション的に結実し、ものすごく気持ちが悪くて目が覚める。直ちに解体にかかる。再び眠り、今度は少しマシな、性的な夢を見る。ひんやりした細身の体の、女性を抱く夢。
無明(むみょう)の裏側に入るということ。
 
スーパー。何か頭がぼーっとしていた。
 
昼。
世界中の国家がエゴをむき出しにし、何よりもまず「力」が重要であり、そして学問によってそれを正当化する、ということが当たり前になっている、碌でもない現実である。これは、西欧諸国によって世界中に撒き散らされた、ウイルス的感染だ。帝国主義植民地主義が、その典型である。江戸時代は天下泰平にまどろんでいた日本も、明治の「文明開化」と共にそれを真似して、ひどい目にあった。いまや、それを世界中の国が後追いしている。
 しかし、「国家のエゴ」といっても、実際はほんの一部の欲望に塗れた人間たちのエゴにすぎない。どこの国だってよかれ悪しかれ、民衆はあまりそんなことに関心がなく、また深い知識もない。民衆は、ご飯が毎日食べられて、そこそこ幸せに暮らしていければ、それで満足だし、もちろんそれでいいのだ。が、じゃあ民衆は、その欲望に塗れた、知識と力(財力、権力、暴力)をもつ下らない一部の人間たちを、どう考えたらよいのだろうか。
 「国家のエゴ」と力と知識の思想は、解体されねばならない。これは西洋発の学問によってとことんまで追求された「悪魔的」思想であり、いったんそれが標準になってしまった現在において、それを解体して人文学的な、人間に対する共感を基盤とした素朴な思想で置き換えることは、実質的にもはや不可能ではあろう。しかし、ちっぽけな一個人の中では、解体することは不可能ではないかも知れない。それに何の意味があるかは、わからないが。仮にうまくいったとして、たんなる自己満足にすぎないのかも、そんなことに、誰も興味がないから。
 
アニメ「トニカクカワイイ(シーズン2 )」ノンテロップED - YouTube
 
図書館。吉村昭さんのエッセイ集『その人の想い出』(2011)、李琴峰さんの小説デビュー作『独り舞』(2018)などを借りる。吉村昭さんはあまり読んだことがないのだが、わたしにはしっくりくる作家。文庫本でも何冊か所持しているくらいなのに、何でこれまでさほど読んでこなかったのか。いや、そういう作家っているよね。
 暖かい。カメラ、もってきて、市民公園を散歩でもすればよかったかな。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー462円。
ちくま学芸文庫新刊の、レヴィ=ストロース未発表講演録を読む。1937年、まだ『親族の基本構造』すら書いていない時期のものと、1992年、最晩年のそれを収録、読了した。レヴィ=ストロースはわたしごときの語れる思想家ではないが、とにかくもっと読まねばならない、ただ、自分の能力不足が本当にくやしいが。大著『神話論理』は未読だし、『悲しき熱帯』や、中沢さんの訳した『パロール・ドネ』、その他いろいろ読み返したいわけで。
 本書の半分以上は監訳者による力の入った「付録」で、レヴィ=ストロースの解説にかこつけた(?)大論文である。こちらはまだ読み切っていないが、これはこれでおもしろい。レヴィ=ストロースを正面から扱った文章は、概して読み応えのある出来になっていることが多い気がする、レヴィ=ストロースには、そういうところがある。
 そうそう、『悲しき熱帯』のエピグラフとして、ルクレティウスからのこんな一句があるそうである。「お前と同じように、これまでそうした世代は亡びてきたし、これからも亡びるだろう nec minus ergo ante haec quam tu cecidere cadentque」と。胸を突かれた。そんな中で、レヴィ=ストロースはいっている。すべてはムダだが、それでもやるべきだ、と。
 
クロード・レヴィ=ストロースモンテーニュからモンテーニュへ』(2024)読了。真島一郎監訳、昼間賢訳。モンテーニュを読み返さないとな。宮下志朗による新訳で読むべきなのかも知れないが、せっかく学生時代に読んだ岩波文庫本があるから、まあ古い訳で読むかな。しかし、読書力が衰えたから、再読なんかできるか知ら。渡辺一夫訳のラブレーも、少し読んで放ってあるし。

 
 
夜。
NHK+ で NHKスペシャル「衝突の根源に何が〜記者が見たイスラエルパレスチナ〜」を観る。質の高い報道だった、NHK でもここまでできるのか、さすがに優秀な記者(鴨志田郷記者)・スタッフがいるなと感じた。何人かのイスラエルパレスチナの重要人物にインタビューしているが、訊くべきことをしっかり訊いて、彼らのかなり本音に近い(と思われる)応えを引き出している。
 なお、番組中では、両脚を根もとから失ったガザの子供、血塗れの子供、パレスチナ人の多数の遺体、ハマスの戦闘員がイスラエル民間人の隠れている部屋に手榴弾を投げ込み、爆発する様子、イスラエル人入植者がパレスチナ人を銃撃し、倒れる瞬間、その他かなりショッキングな映像がたくさん流れるので、注意されたい。これらは現実のほんの一部にすぎない。
 わたしは(ヨルダン川西岸地区の)イスラエルの入植地の様子を初めて映像で観た。ひどい、入植は完全な国際法違反である。また、入植者に銃が与えられ、軍の同行の下、パレスチナ人の村を襲って破壊したり、パレスチナ人に発砲する様子も確認した。繰り返すけれども、完全な国際法違反である、こんなことが常時行われている。
 繰り返すが、高々50分足らずの番組で、じつによくできている。少なくともこの番組だけで、かなりのことがわかると思う。今回のパレスチナ紛争をとおり一遍のニュース報道よりも深く知りたい方には、お勧めできる。
 最後に、長年ガザを取材してきたイスラエル人ジャーナリストの発言があったが、これが正鵠を得ていると感じた。この殺戮の連鎖を内側(つまり、イスラエルパレスチナ側)から止めることはもはや不可能である。外部(国際社会)からの(軍事的ではない)政治的介入しかない、と。逆にいえば、(日本人を含む)国際社会がこれまでのようにこの問題に興味をもたず、偽善的に放置しておけば、この殺戮の連鎖が止まることはないのである。
 
しかし、この問題ほど我々「文明人」の野蛮と偽善ぶりをあらわにしてみせるものがあろうか。わたしは昼間読んでいたレヴィ=ストロースと、モンテーニュの発言を、強烈に思い出さざるを得なかった。「未開人」のいったいどこに、我々ほどの野蛮さと残虐さがあるというのか、という。