関川夏央『司馬遼太郎の「かたち」』

祝日(スポーツの日)。雨。
 
昼から県営プール。駐車場の北ゲートが駐車券を発行しない不具合で、西ゲートから入る。今日もかなりの時間、泳いでいたのは僕だけ。休みの日でも皆んな来ないものだな。
曇。外気19℃。今月に入ってはっきりと暑くなくなったな。10月から秋、ということか。
 
 
関川夏央司馬遼太郎の「かたち」』(元本2000、文庫版2003)読了。副題「『この国のかたち』の十年」。小説を書かなくなった、司馬さん最後の十年を描く。悲しい本だった。わたしはバブル世代だが、もしかしたら司馬さんが読める最後の世代かも知れない。司馬さんは読まれなくなった。日本人の心の土台は崩壊し、新たなそれはまだ築かれていない。本書の最後は、「七十二年と六ヶ月の、はなばなしくも実り多い生涯であった」と締めくくられているが、いまは無知な人間がふつうに平気で司馬さんを軽く disってしまえる時代である。司馬さんから糧が得られる者は、どれだけいるのであろうか。司馬さんは何よりも屁理屈を嫌い、明晰で、ファクトを重んじる人間が好きだったが、屁理屈を弄し、「ファクトが観念的に重視される」いまの時代を、どう見るだろう。実際いま、司馬さんは「ファクト」を重視する立場の人と見られていない。

司馬さんは最晩年、日本はこのままでは滅びると憂えていたが、予言としてそれは的中した。さて、日本人はどうなったか。わたしたちも随分と変わってしまったな。
 
夜。
半藤一利『昭和史 戦後篇 1945-1989』を読み始める。第二章まで読んだ。大雑把にはだいたい知っていることではあるが、事実が細かく肉付けされているし、すっきりしていてとても読みやすい。これ、たぶん語りが元なんだろうな。戦後直後の話、中学生だった半藤さん自身が体験したり実感したことが結構書かれていて、ふつうの日本人が敗戦をどう捉えたか、よくわかる。