こともなし

曇。
 
体調のよくない野生動物のように、暗いところで丸くなって過ごす。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■ブラームス交響曲第一番 op.68 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。始めはヤンソンスの演奏で聴こうと思ったのだが、ふとカラヤンにしようと思いついて聴いてみた。70年代の録音だそうである。わたしはこの曲に拘っているのだが、それはこの曲が、最強の「時代遅れのダサい田舎者」としてのブラームスのエッセンスと感じられるからだと思う。なにせ、これがワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」以降の音楽だというのだがら、その時代遅れぶりは明白だ。暑苦しいのがダサい。それに惹かれる自分もまた「時代遅れのダサい田舎者」なわけだが、そこらあたりは自分でもよくわからないところでもある。カラヤンブラームスは、そんなに田舎くさいわけではない。輝かしいばかりのベルリン・フィルとのコンビ。ヨーロッパの最高級ブランドの中でもさらに最上級品で、好きだとか嫌いだとかいっても、ほとんど意味はないのだ。こういう音楽は、いまどうやって聴かれているのだろう。わたしにはよくわからない。

 
火水木に強い寒気が来るとテレビでうるさいので、図書館へ行って返却ポストに本を放り込んでくる。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。山口昌男の演劇論集の続きを読む。いちいち感銘を受けるので感想を書こうかと思ったのだが、よく考えたら演劇の舞台をほとんど生で観たこともないわたしが山口昌男を語るとか、碌でもないことに気づいたので止める。学生のうちにシェイクスピア劇とかチェーホフブレヒトベケットあたり、劇場で観ておけばよかったのだが、もう遅い。もっとも、雑談ゼミで森毅先生に、京都でどこかありますかとか訊いたことがあったのだが、先生も「知らないなあ」といっておられた。大阪くらいならあったのだろうか。大昔の話である。
 ちなみに、森先生は、三島由紀夫の夢幻的というのだろうか、ふわーっと華やかに終わる舞台がいいって仰っていたのを思い出す。わたしは活字で読んだだけだが、いま思うとそんな三島由紀夫の戯曲って、何のことだろうな。わたしは、「サド侯爵夫人」とか「わが友ヒットラー」くらいしか読んだことがないので。わたしの記憶ちがいかも知れないが。
 
肉屋。
 
 
夜。
「冴えカノ Fine」をつまみぐいする。YouTube やニコ動の編集動画で楽しもうと思ったのだが、ほとんど上がっていない。公式がきびしいのかな。というわけで、結局三分の二くらい観返してしまった。
 それにしても、加藤恵のめんどうくさい女ぶりを見ていると、大昔の傑作マンガ『めぞん一刻』のヒロインの響子さんを思い出すところがあるな。まあ、女性の気持ちのわからないわたしが、これ以上わかった風のことを書いて恥を晒すのはやめよう。ただひとつ言うなら、告白シーンで倫也が恵に(ふつうなら許されないような)とても失礼なことをいうのだが、恵はそれを「でも合格」って受け入れるんだよね(関係ないけれど、告白シーンでは倫也が主体的に動いているように見えて、全部恵のコントロール下にあるのがコワい笑)。これは恵が涙を落としながら仲間に宣言するところとか、あとでのお風呂での英梨々との会話からわかるように、まったく作者の意図どおりで、才能に満ちたふたりが負けヒロインになって、平凡な恵が選ばれるっていう、この作品のこだわりなんだと思う。まさに「冴えないヒロイン」なんだからね。そこは僕には正直ちょっと納得し切れないところでもあったな。ま、いずれにせよ神アニメですけれど。観ていて萌え死にました。