こともなし

日曜日。曇のち雨。

昼食は昨日のカレー鍋を雑炊にしたもの。


アイザイア・バーリンの「ジョセフ・ド・メストルとファシズムの起源」を読んだが、これおもしろすぎるな。この論文を読むかぎり、ド・メストルの一行たりとも現在の常識では肯定できないであろうが、しかし、神の下僕ド・メストルの悪魔的な現実認識がリアリスティックであることを否定するのはむずかしい。ド・メストルの徹底して否定した「理性」や「民主主義」は現在は普遍的価値を持つように議論され、非合理主義者のように見えるであろうわたしもそれらの価値を否定することはできないが、ド・メストルのいうところに奇妙な真理を見出してしまうのも事実なのだ。ド・メストルが悪罵した「自由」や「平等」も、それが徹底されつつある現在、何の難点もないとは思えないところがある。というか、完全な自由とか完全な平等というものは、もちろん欺瞞であり、あり得ない。
 ド・メストルは「献身的で心のやさしい父親、忠実で明るく神経細やかな友人」だったそうである。この辛辣な、冥い認識の鼓舞者が!
 ド・メストルは革命の敵であったが、現実に起きてしまった革命をなかったことにはしなかったのであり、その帰結を冷徹に見つめていたわけだ。
 この論文中にサン・シモン主義者による、ヴォルテールとド・メストルの和解という話があったが、これは論理的にはまず不可能であるにもかかわらず、わたしにはよくわかるところだ。そう、ヴォルテールとド・メストルの視点は確かに融合されねばならないのである。ヴォルテールだけ、ド・メストルだけでは両輪のいずれかを欠くのであり、敢ていえば現代はヴォルテールだけになっている。それが逆説的に、例えばトランプ主義者を生むのだ。我々は簡単に矛盾を恐れてはいけないのである。
 ところで、ド・メストルってまったく読んだことがないのだよね。すばらしい文章家ということだが、日本語でどれくらい読めるのか知ら。

追記。ド・メストルに関する Wikipedia(日本語)の記述は結構充実している。おもしろいな。

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P丸様。のヴォーカルで「ワンダラー」を聴いてみた。本家も聴いてみる。Ayase、人気なんだな。僕の You Tube のレコメンドにいっぱい出てくるよ。

自分的に「ワンダラー」っていうと、シューベルトの「さすらい人幻想曲」なんだが… いや、どうでもいいですね。ついでにいうと(?)、「エクスプロージョン」っていうと自分的にはめぐみんじゃなくて、ルイズなんだが、これもどーでもいーですな(笑)。ルイズは昔のなんJ民だと、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールって、フルネームで即答できるのが嗜みだったらしい。


夜、「青ブタ」の最初の6話を見返す。俺、このアニメ好きすぎだな。