仲道郁代『ピアニストはおもしろい』

晴。

スーパー。

老母に云われて、本日付朝日新聞朝刊の宮台真司インタヴューを読む。宮台さん、わたしよりほぼ十歳年長で、かつてはわたしの立場とは全然ちがったが、いまではほとんど同じ認識に至っているのがおもしろい。しかし宮台さん、メディアに露出しなくなったな。もう、クソな現実に興味をなくしたようなことを以前仰っていた。いろいろとんがった人だったから、雁字搦めに拘束されている自由のない現代がつまらないのだろうな。何もかもダメだといっているくらいなら、自分でやれ、自分で立ち上がれとインタヴューの最後で仰っていたのが印象的だった。わたしも本当にそう思う。わたしも自分ひとりで独り言をぐちゃぐちゃ言っているだけのように見えることは承知しているが、自分なりに思うところはあるつもりだ。これでもね💖 ただ、道は絶望的なまでに見えないけれども――残念だが、こんな歳になっても。


昼から珈琲工房ひぐち北一色店。仲道郁代『ピアニストはおもしろい』を読み始める。エッセイ集。いやこれ、読ませるなあ。仲道さん、長年に亙って第一線で活躍されているだけでもう非凡であることは当然なのだが、性格的に至極フツーの人であるのがいい感じ。奇人変人超人ではないので、一流どころというのはそういう人の方が多いからなあ。だから、音楽をやっていく内にいろいろと気づきがある点が、我々普通人にもよくわかって、共感できるのだ。僕はピアニスト・仲道郁代をそれほどは知らず、動画でいくらか聴いた程度だが(昔、かなりエラソーなこと書いてます)、ちょっと聴いてみたくなったね。
 ヨーロッパではクラシック音楽が生活に根付いている、ふらりと入れる500円くらいのコンサートがあったり、というのは仲道さんが本書で仰るだけでなく、よく云われることだ。日本では、東京ですらそうはなっていないだろう。クラシック音楽はまだまだ敷居が高い感じだし、クラシック・ファンは「クラヲタ」といわれるようにマニアックで、耳ができていないのに名演主義である人が多い(わたしもそうであったから、よくわかる)。それでも、以前よりはクラシック音楽も「大衆化」したのかも知れないが。「耳ができている」云々というのが既にエラソーだといわれれば、そのとおりというしかないけれど。ま、そんなことどうでもいいのだ。

図書館から借りてきた、仲道郁代『ピアニストはおもしろい』読了。後半はマジメでハードな話だったが、こちらもよかった。やはり深く考えないと演奏はできないから、わたしのような一般の音楽好きにもとても参考になる。仲道さんはたんに人気ピアニストであるだけでなく、音楽の力を伝えるために社会的な活動も含めた、様々な試みもされているのだな。三才児でも(いや、三才児だからこそ、なのかも知れないが)生き生きと音楽に反応するという話など、ちょっと感動的だった。また、音楽を感覚的に弾く・聴くだけでなく、仲道さんは苦労して言葉にしていくというタイプでもあるのだ。ベートーヴェンの本質は?とかショパンの本質は?とか問うのは、特にいまの日本ではむしろ敬遠されるようにも思えるが、仲道さんはそういうことに向き合っていく。そこもまた、参考になりましたよ。
 なお、本書はほぼ書き下ろし。最後、50歳にしてようやく出発点に立ったと仲道さんは書いておられる。これから、本当の芸術の道に一歩を踏み出すことができる、あと何年ピアノを弾き続けられるかわからないが、というのは、なかなか言えることではない。わたしなどは凡人凡才で、いまでも果たして出発点に立っているのかもわからないが、これからも少しでもそれに近づけるようにと思ったことであった。

それから、わたしはクラシック音楽の演奏会というものに、住んでいる地域のためもあって、いや、いちばんは出不精のせいだけれども、これまであまり行くことができなかった。本書を読んでいて、録音や配信だけで音楽を聴いているわたしは、何か大切なものを欠いていることをあらためて痛感する。

NML に仲道さんの録音はひとつもないな。日本の人気クラシック音楽家は、CDが売れなくなるのを恐れてどうしてもこうなるよね。

夜。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第六番 op.10-2、第二十四番 op.78 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。■ドビュッシーの「マラルメの二つの詩」、「まぼろし」、「亜麻色の髪の乙女」、「ビリティスの三つの歌」で、ソプラノは盛田麻央、ピアノは青柳いづみこNML)。