キモいって、キモい方が悪いの?

晴。
 
kamiyakenkyujo.hatenablog.comここ経由で次の増田を見た。
女子大生だけどジジイに告白された(怒)

俺には好きな女と恋する権利すらないのかって?
ないよ?

あなたは、好意を打ち明けられたら気持ち悪いって、下手したら警察呼ばれるくらいの存在なんです。
他人に最低限のマナーで振る舞う優しさを勝手に愛情と勘違いされて、期待されて、縋り付かれて、マジでキモくて迷惑です。

いまはこういう時代になったと知っているので、まあ「はあ」と思っただけだが、やっぱり時代は変わるな。紙屋は「これじゃあ職場恋愛はできないってことだなという批判に対して、弁護士の牟田和恵は、そんなことはない、きちんと手順を踏めばできるとしている。」と書いているが、その「手順」というのがちょっと気にならないでもない。いずれにせよ、職場恋愛というのが厄介な時代になったということで、若い人たちには気の毒という気がちょっとする。逆にいえば、我々の世代は職場で恋愛しまくりで、それに従って(主に)女性へのセクハラ・パワハラもありまくりだったのだから、いまの時代の方が確かに「改善」されているといえるだろう。
 紙屋は「男性側が『好き』と告白する権利はある」といっているが、どうだろう。上の増田はそう思っていなさそうだぞ。そして世の女性たちも、キモい人間(さらにいえば、自分が好意をもっている人間以外)は告白してくんなと思わない? それこそ、キモくてかつ面倒だから。
 それから、紙屋は恋愛はまさに(個人的な)差別に他ならないとして、暗に集団的な差別と区別してかかる差別を許容しているが、そのような区別は実際には混同されがちなものであろう。上の増田でも、増田がムカついているジジイ個人と、世のジジイ一般が明らかに混同されている。そして、そのような混同を避けることは、言葉というものの性質上ある意味では不可能である。
 ちょっと話がずれるが、他人から「キモい」と思われる人間は、人間扱いされる、というかしてもらうのにひどく周到な手続きが必要となる時代なのだなあという感じ。現代にあっては、他人に「キモい」と思われるということは、じつはキモいと思われた人間から思った人間への「加害」になりかねないということだ。理不尽すぎて、人権も何もあったものではない。わたしなどは、ひどい時代になったなあと、少し悲しみ(と、それこそキモさ)を感じる。これもまたおっさんの繰り言にすぎないが。

しかし、正直言っていまの時代「恋愛」とかめんどくせーやという感じ。さかりがついた奴だけ勝手にやってろと思う。

コミュニケーションって何だろな。「キモい」ってことを考えていると、いろいろわからなくなってくる。何故「キモい」ってのが、そんなにエッセンシャル・ワードになっているのか?
 上の増田が「最低限のマナー」って書いているけれど、これも考えてみるとおもしろい言葉だ。「他者としての尊重」ではないわけだ。「最低限のマナー」っていうのは、ほとんどコミュニケーションの拒否に近いと思う。あまり接触したくないという態度だからね。
 さあ皆んな、コミュニケーションなんて拒否して、おうちやお部屋に引きこもろうぜ! 自分のお部屋がいちばん! ってなるよね、これだと笑。

日本では西洋に比べてかつて個人間の境界があいまいだったところがあるが、次第に西洋のようにその境界を明確化する方向に進み、ひとつの社会的段階に至ったのがいまだと思う。そのことと、「(西洋的)自我」や「アイデンティティ」の問題は不可分だ。また、コミュニケーションが概念化していくのも西洋同様、避けられないことである(紙屋などは、そのサンプルのひとつだ。)「キモさ」というのは、それに打ち込まれたひとつの感情的楔でもあろうか。西洋人にも「キモさ」のようなものはあるのだろうが、それは言ってはいけないもの、明確化してはいけないもの、言語では言い表せないものになっている筈だ。
 ちなみに Google翻訳で「キモい」を英訳させてみたところ、「disgusting」となった。これではニュアンスがだいぶちがうよね。「嫌悪」じゃないんだよなあ、きもちわるいっていうのは。

長時間、昼寝。

マックスバリュ
老父母と一緒に網戸を張り替える。奮闘して小さい網戸はできたが、大きいのはむずかしくて、結局業者に頼むかということになった笑。足腰が弱っていて、30分ぐらい中腰で作業していたら疲れた。ということで、というわけでもないか、「まん延防止等重点措置」が終了して再開したプールの予約を取っておく。ようやくプールへ行けますよ。


増田の話の追記。
ここのブクマを見てみたら、「大学教授と生徒という、権力関係が非対称である事例だから、(実際に具体的なセクハラやパワハラを受けていなくても)それだけで告白は許されない」というブコメが多くて、「そこかよ」と思った。つまり、セクハラ、パワハラを実際に受けなくても、受けるかも知れないという「恐怖」を(女性が)覚えるだけで、(男性からの)告白は許されないということである。いまの恋愛コード、いや、コミュニケーション・コードがそこまで「厳格」になっているのなら、わたしのごときのいうべきことはない。ただ、元増田の場合はそういう感じではないのだが。ひたすら、ジジイから告白されてキモいからムカつくといっているだけである。
 それから、「不倫」だからジジイ即アウトというブコメもたくさんあって、これも「そこかよ」と思った。そりゃいくら何でもナイーブすぎないか? 元増田もそれについては何もいってないぞ。まあ、わたしは不倫とかしたことないし(そもそも妻がいない笑)、あんまりよいこととも思わないし、また知っている人の不倫を見ていると、そんな面倒なことをよくやっているなと呆れるのだが、でもねえ。妻子があっても人を好きになることはあるんじゃないのか? よいこととは思わないけれど(と繰り返すが)、不倫って世に結構ありふれていますよ。どうでもいいけれど。