吉田千亜『孤塁』――双葉郡消防士たちの3・11

晴。

スーパー。
ウチの遅い紅梅の蕾が綻び始めた。

昼から県図書館。
ミスタードーナツ バロー市橋ショップ。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー429円。いま借りてきた吉田千亜『孤塁』を読み始める。副題「双葉郡消防士たちの3・11」、第42回本田靖春ノンフィクション賞受賞作。まだ第一章しか読んでいないが、冒頭から涙が滲んできて困る。端っこの席だったのでまだよかった。大きな余震が繰り返し起きる中、第何波かわからないくらい津波が押し寄せるのをかいくぐって、消防士たちは懸命に救助を続ける。このあとの章から、福島第一原発が暴走し出す(のがはっきりしてくる)ようだ。

孤塁 双葉郡消防士たちの3.11

孤塁 双葉郡消防士たちの3.11

 
図書館から借りてきた、吉田千亜『孤塁』読了。途中ひどく落涙を禁じ得ないところもあったが、まあそれはよい。よく考えてみたら、福島第一原発事故に関するドキュメント本は、ほとんど初めて読んだのではないか。以前、『原発禍を生きる』という本を読んだが、これは一個人(知識人)の本だった。あまりおもしろくもなかったし。本書は消防士たちの活動を聞き書きによって記録したものだが、原発事故をひとつの視点から時系列順に俯瞰するよい機会になった。そして、小さな双葉郡の消防士たちが、決死の覚悟で(これは文字どおりのことである。遺書を書いた隊員はひとりふたりではない)活動してしていたことが、報道もされず世間からほとんど忘れられていたこと。ベテランたちの活動を見ていた若い隊員が(未来のある若い隊員たちは、できるだけ前線に出さない配慮が暗黙になされていたようだ*1)、それが悔しくて著者の前で泣いたという。はたして、自分たちの貴重な経験が、どこかに記録されているのか。罪深い話だと思わずにはいられなかった。
 これから、地球温暖化対策として、原子力発電の比重が大きくなっていくことが予想される。本書を読んでいると、原発事故は起きないという前提で対策(?)が立てられていたため、混乱が甚だしかったことが痛切に感じられる。原子力発電が必須になるなら、事故は起きるものと想定してすべてが決められねばならない。そのことを強く感じた。しかし、こんなことが起きても、まだ原発に頼らねばならないとは、そんなことが許されるのだろうかという気もわたしにはしてしまう。非合理的かも知れないが。
 わたしは以前から東日本大震災福島第一原発事故に関するまとまった本を読みたいと思っていたが、一般人のための適当な本がなかなかなかった。本書はわたしにはよい本だった。いままで読んだ中では玄侑さんの『光の山』という短編集が印象的だったが、これは小説であるし。もう少し、他の本も読んでみたい気があるのだが。

*1:もちろん経験不足ということもある。ただ人員が圧倒的に足りなかったため、若い人が前面に出る場合も多かったようだ。